『  ダ・ヴィンチ健康法 <食> 』


 来年2019年に生誕500年を迎えるレオナルド・ダ・ヴィンチが、数多くの手記を残していることは、前回の当誌でもお伝えした。

その手記のなかには、彼の考えていた健康法の記述がある。

そこで今回は、その記述を参考にして、食について掘り下げてみたいと思う。


 手記を読むと、ダ・ヴィンチは食にもっとも重点を置いて、健康を維持しようと考えていたことがわかる。

彼が食養生として挙げていたのは、

 「食いたくないのに食うなかれ、軽く食べよ」

 「よく噛め、摂取するものはじゅうぶん煮て、料理はかんたんに」

 「食卓をはなれたときは、姿勢を正しくしたまえ」

 「酒は適度に、少しずつ何回も」

 「食事をはずさず、また空腹をかかえているなかれ」

などであるが、これらは現代のわれわれの目から見ても、違和感はない。

ダ・ヴィンチが参考にしていたと思われる、『サレルノ養生訓』の内容も大差はなかった。

非科学的な項目を除外すれば、あとは誰でもわかっていることばかりだ。

今も昔も、そのわかっていることを実行できるかどうかが、健康の秘訣なのである。

ところが、彼の生きた時代と現代の日本とでは、決定的に違う点もある。

食べ物の質や食のもつ意味合い、われわれが暮らす環境といった要素は、ことごとく違っているといってよいだろう。


 一般的に、ダ・ヴィンチはベジタリアンだったといわれている。

ベジタリアンというのは、植物だけを食べて肉食をしない人たちの総称である。

ベジタリアンであることの目的は、大きくは健康と宗教的なものとの、2つに分けられる。

しかし、ダ・ヴィンチの手記に具体的な記述はないので、彼がなぜベジタリアンだったかはわからない。

多分、ベジタリアンだったピタゴラスや、ベジタリアン社会を理想としていた、アリストテレスに傾倒していたからだろう。


 実は私も、インドに住んでいたころは、ベジタリアン生活だった。

私が暮らしていたオーロビルという地域では、ベジタリアンが主流だったので、肉などの動物性タンパク質を摂取する機会が、極端に少なかったのだ。

もともと私はあまり肉食をしていなかったから、ベジタリアンでも苦にはならなかったが、さすがにインドのような暑い国では、事情が違った。

日本でも、この夏は気温が40度を超えたと聞いて驚いたが、インドでは連日40度を軽く超えていた。

夜になっても35度まで下がることはない。

おまけに湿度も異様に高かった。

しかも、冷房設備などない。

そのような環境では、食べる気力すら失せ、ついには栄養失調で倒れてしまったのである。


 ところが、周囲の欧米出身者たちは、猛暑のなかでも元気だった。

彼らと私とでは、一体何が違ったのか。

暑さに強いといえばそれまでだが、同じベジタリアンでも、彼らと私とでは食べる量がまるっきり違っていたのである。


 そもそも人間は草食動物ではない。

肉食によって動物性タンパク質をとらないのであれば、必要な栄養を得るには、その分、食事の量を増やさなければならない。

江戸時代の日本人もほとんど肉食をしていなかったが、いわゆる「一升飯」のように、おどろくほど大量のコメを食べることでカバーしていた。

それなのにインドでの私は、ほとんど食事がのどを通っていなかったのだから、たまに肉でも食べなければ、倒れるのは当たり前だったのだ。

 
 ベジタリアンといえば、日本ではこの2、30年、がんと診断された途端に、玄米菜食に切り替える人がいる。

がん患者でなくても、玄米菜食が体にいいと誤解している人は多い。

しかし、がん患者が玄米菜食にしたからといって、がんが治るわけではないし、再発・転移の予防になるわけでもない。

がんの治療にとって、もっとも大切な体力自体も落ちるのだから、玄米菜食には利点などないといってよい。

動物性食品をとらないと、江戸時代の人のように血管がもろくなって、脳出血で死ぬ確率まで高まってしまうのだ。


 玄米を勧める人は、玄米の胚芽の部分に、ビタミンB1、B6、Eやミネラルなどが豊富に含まれていることを、利点として挙げる。

確かに明治のころまでなら、白米食ではビタミンB1不足で、脚気になる人が多かった。

その記憶が、必要以上に玄米信仰を増幅させているようだ。

しかし現代なら、普通の食事をしていれば、脚気の心配などいらない。


 また、動物性の食品にはタンパク質だけでなく、多様な栄養素が含まれている点も重要だ。

特にビタミンB12は、動物性食品にしか含まれていない。

このビタミンB12が欠乏すると、悪性貧血になってしまう。

だから、完全なベジタリアンというのは、全く現実的ではないのである。


 さらに、玄米食には他の問題もある。

私は「アシンメトリ現象」の原因の一つに、アルカロイドの影響を挙げているが、アルカロイドとは植物に多く含まれる、毒性の物質なのである。

コメの場合だと、アルカロイドは胚芽の部分に多く含まれている。

そのため、玄米の状態でコメを食べていると、必然的にアルカロイドの摂取量が増えてしまうのだ。


 ほとんどの植物は、毒性を備えることで、虫などの外敵から身を守っている。

この毒性のせいで、味が渋かったり苦かったりすれば、食べられずにすむからだ。

人間であっても、キノコを含め、庭先に生えている植物を手当たり次第に食べていたら、まず間違いなく植物毒で死ぬことになる。

どこでも見かけるスイセン、キョウチクトウ、チョウセンアサガオ、スズランなども猛毒だ。

しかし、意外なほど多くの人が、身近に猛毒の植物があることを、知らないで暮らしている。


 人類は、1万年ほど前に農耕を始めたおかげで、植物を大量に生産できるようになった。

しかし、植物毒を少なくするための、品種改良が完了するまでには、多くの時間がかかった。

ジャガイモにしても、江戸時代に日本に渡ったころは、まだまだアルカロイドが強すぎて、一般的な食べ物ではなかった。

ところが、緑の革命によって、植物毒の少ない安全な穀物や野菜を、大量に生産できるようになった。

こうしてやっと、人類最大の目標であった、飢餓からの解放が達成されたのである。


 だが、この輝かしい人類史の裏では、新たな問題が発生していた。

産業革命以降、人類はさまざまな化学物質、重金属、放射性物質を環境に放出するようになった。

そしてこれらの物質が、胚芽の部分にはより多く含まれているのである。

だが問題なのは、これらが植物だけでなく、あらゆる食品にまで含まれるようになったことだ。

これは人類にとって、新たな毒の出現といってよい。

そして、それらが「アシンメトリ現象」の原因物質となって、われわれの体を蝕んでいるのである。


 そのため、食と健康との関係も、ダ・ヴィンチのころとは全く状況が違っている。

環境中に放出された有害物質を、回収する技術はまだ存在しない。

ひたすら加速度的に増えていくのみで、これらの物質を、人体から完全に排除することも不可能だ。

急性の毒性症状でもない限り、有害物質によって、どれだけ健康が阻害されているかを計る方法もない。

現在の科学技術では、将来の健康被害を予測することすらむずかしいのである。

「ただちに問題はない」とか、「さしあたって健康に害はない」といった、目先の判断しかできないありさまだ。


 しかし、実際には、「アシンメトリ現象」がどれだけ体に現れているかを見れば、将来的な健康状態を知ることができる。

もしダ・ヴィンチが「アシンメトリ現象」の存在だけでなく、その意味にも気づいていたら、その度合いを数値化しようと試みたかもしれない。

それが実現していたら、医学の進む方向も、今とは大きく違ったものになっていただろう。


 では具体的には、われわれは食の何に気をつけて暮らすべきなのか。

明確な答えを提示できればよいのだが、今の時代は不可抗力的な要素が多すぎて、個人の努力で解決するには限界がある。

そこで、あくまでも一つの参考例として、私が食について考えている目安を挙げておく。


【1】フードファディズムに踊らされて、玄米菜食などの極端な食事をしない。

全ての情報を無批判に信用しない。

健康食品・サプリメントをとらない。

【2】加工食品を極力買わない。

加工の段階が進むごとに添加物は増え、食品の栄養は失われている。

【3】化学調味料が入った食品を買わない。

骨のズレの原因となっているグルタミン酸ナトリウム(MSG)は、食品の成分欄に、「アミノ酸等」と表記されているので、よく確認してから買う。
 
飲料、調味料、菓子、サプリメントなどにも、MSGが含まれているので注意。

化学調味料を排除すると、味覚そのものも正常にもどる。

【4】外食を極力避けてリスクを下げる。

衛生面はいうに及ばず、素材の安全性が確保されているかどうかは、客の立場では判断できない。

MSGの量も圧倒的に多い。

【5】肉と魚は国産品を買わない。

産地偽装を前提にすると、国産品だから安全とはいえない。

【6】有機・無農薬の表示を、購入の判断基準にしない。

有機・無農薬と表示されていることが、安全や健康の保証にはならない。

【7】朝昼晩、決まった時刻に食事をとる。

生活のリズムを優先させることが、健康にはもっとも重要である。

毎食腹8分目に抑えておけば、必ず定時にはお腹が空いている。

【8】寝る前の3時間は食べない。

睡眠を充実させるためにも、夜食は不可。

夕方以降はカフェインをとらない。

【9】酒は酔うほど飲まない。

飲みすぎて良いことなど何もない。

深酒の習慣は緩慢な自殺行為である。

自制できない人は、最初から1杯だけと決めておく。

【10】眼の前に出されたものは、感謝しておいしく食べる。

食べることは生き物の命をいただく行為であるから、可能な限りムダにしてはいけない。

これは食の基本中の基本である。 以上。


 食の安全に関して、全く気にしないのは問題だが、気にしすぎてもきりがない。

どこかで線引きをしなければ、食の楽しみという側面まで奪うことになる。

何を食べて何を食べないかは、人それぞれの生き方の問題であり、かなりの部分が信仰に属することなので、批判も規制もするつもりはない。

ただ私は、過剰な健康志向が、飽食グルメの延長になることだけは避けたいと思っている。

ダ・ヴィンチが現代に生きていたなら、この考えを否定することはないだろう。

 
 次回は、「ダ・ヴィンチ健康法」から、健康の2本目の柱「排泄」について考えてみようと思う。

                           (花山 水清)

(花山水清メールマガジン 「月刊ハナヤマ通信」 

 

 

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