『  ダ・ヴィンチ作品に見る「アシンメトリ現象」後編 』


 20世紀初頭のドイツ医学界で、近代解剖学の祖はレオナルド・ダ・ヴィンチかヴェサリウスかという議論が起こったことがある。

その結果は、はっきりとはわからない。

多分、ガレノス以来の旧説を覆した功績で、ヴェサリウスが創始者だということになったのだろう。

だが、近代解剖図を創り上げたのは、間違いなくダ・ヴィンチだ。


 確かに、ヴェサリウスが『 ファブリカ 』という解剖図の本を著した功績は大きい。

しかし、『 ファブリカ 』の解剖図を実際に描いたのはティツィアーノの弟子であり、ヴェサリウス本人ではない。

その点ダ・ヴィンチは、自らの手で解剖をおこなうのと同時に、解剖図も自分で描いている。

それまでの解剖図といえば、図としての体裁すら整っていなかった。

そんな解剖図を、歴史上初めて、図法として確立したのがダ・ヴィンチなのである。

この業績において、かつて彼を超えた解剖学者はいないはずだ。


 また、彼の作図に対する意識の高さも、他に類を見ない。

作図の本来の目的は、建築図面のように平面から立体を再現することにある。

そのため、立体を意識していない図など、何の役にも立たない。

それは解剖図においても同じことなのである。

ダ・ヴィンチ以前の解剖図からは、立体という意識などほとんど感じられない。

現在のように、CGで立体が表現できるようになるまで、その傾向は変わっていなかったのだ。


 そもそも解剖というのは、死体を切り分けていく作業である。

解剖の目的のなかに、切り分けたパーツを元の状態に戻す作業など、全く想定されていない。

バラバラにして終わりなのだ。

そのため作図においても、図として最も大切なはずの、立体を再現して見せるという意識が薄い。

これは、現在使用されている解剖図についても、同じことがいえる。


 例えば、少し前までかなり評判の良かったネッターの解剖図ですら、あれは図ではなく単なる絵でしかない。

その絵としてのレベルも、ダ・ヴィンチの足元にも及ばない。

ネッターに限らずほとんどの解剖図は、脈管系など、どこがどうつながっているのか不明で、不親切な路線図のようなのだ。


 その点、ダ・ヴィンチの解剖図は、500年も昔の技術でありながら、正面、側面、断面を描き分けて見せることで、見事に図としての機能を果たしている。

透視図法などの遠近法に留まらず、短縮法まで駆使して、より緻密に立体を再現しようと試みているのだ。


 また、彼の解剖図(『 解剖手稿 』)の一部には、8角星形(※1)が描きこまれている。

8角星形は、体を45度ずつ8回転させることで、360度の立体を表現することを意味しているそうだ。

図によってはもっと細分化して、22.5度ずつ回転させて描いたものまであった。

これらの表現は、解剖図だけでなく前回紹介した「モナ・リザ」、「サルバトール・ムンディ」、「イザベラ・デステの肖像」、「白貂を抱く貴婦人」、「美しき姫君」の連作と同じ手法だ。

そのため、ダ・ヴィンチの作品は、平面であっても立体以上に対象を正確に捉えているのである。

そしてこれが、彫刻より絵画のほうが立体を表現する上で優れている、と彼が力説する根拠でもある。(※2)

だからこそ、ダ・ヴィンチの作品に登場する「アシンメトリ現象」は、正確な資料になるといえるのだ。


 さらにおもしろいのは、「チェーザレ・ボルジアの肖像」(※3)にも、はっきりとした「アシンメトリ現象」が読み取れることである。

左目は小さく、左頬がこけ、鼻は左に傾き、左口角が上がり、そして、左肩も上がっている。

まさに「アシンメトリ現象」の見本のような姿なのである。

この「チェーザレ・ボルジアの肖像」はスケッチ(素描)なので、対象を正確に写し取った段階で、まだ修正は加えられていない。

ダ・ヴィンチが目にしたそのままの姿だと考えてよい。

そこに、これほどはっきりと「アシンメトリ現象」の特徴が現れていることは、歴史的な資料としても価値がある。

だが、彼の体をこれほど左右非対称な形にしたのは、一体何だったのだろう。


 この時代は、マキャヴェッリの『 君主論 』にも書かれているように、権力闘争の真っ只中であった。

毒薬による暗殺なども頻繁におこなわれていたようだ。

『 ボルジア家の毒薬 』という映画があるほどだから、チェーザレ・ボルジアが毒薬と無縁だったとは考えにくい。

ボルジア家の毒薬は、チョウセンアサガオを使ったアルカロイドだったという説もある。


 当時は、1453年にコンスタンティノープルがオスマントルコの手に落ちた結果、先端のアラビア医学がヨーロッパに流れ込むことで、薬の開発が盛んになった時代でもある。

また、大航海時代の幕開けによって、ヨーロッパ中に梅毒が広がり始めたため、薬としての水銀の使用も増えていた。

あのイザベラ・デステが、歯のホワイトニングのために水銀を調合した薬を使っていた、という記述まである。

裕福な貴族ほど、そういったさまざまな薬を服用していたはずだ。

その影響で、彼らの体に「アシンメトリ現象」が増えていたのかもしれない。

絵画を通してであっても、ダ・ヴィンチほどの天才の作品であるがゆえに、そういった史実を読み取ることもできるのだ。


 さて、今回は「アシンメトリ現象」の歴史をたどる目的で、たまたまダ・ヴィンチの作品を調べてみたわけだが、どうやら彼自身も、「アシンメトリ現象」の存在を意識していたようだ。

逆に、彼ほどの人物が、この現象に気づかないわけがない。

ダ・ヴィンチは、画家として有名な割に、実際の作品数は少ない。

その数少ない作品のなかに、これほどの「アシンメトリ現象」を発見できるのは、決して偶然ではないだろう

ダ・ヴィンチが人体を実測することによって完成させた、あの「ウィトルウィウス的人体」(※4)にしても、不思議なことに、そこに描かれている人体は左右対称ではない。

理想の人体比率を表現しようとしたのだから、この絵だけは左右対称でなければならないはずだ。

それなのに、明らかにアシンメトリになっている。

私はここにも、ダ・ヴィンチからのメッセージを感じる。

ダ・ヴィンチの研究者たちは、なぜこのことに疑問も関心も持たないのだろうか。


 他にも興味深いのは、彼の代表作ともいわれる「最後の晩餐」(※5)である。

この作品は、イエス・キリストが使徒とともに食卓を囲んでいる絵であり、一点透視図法で描かれていることでも有名だ。

その画面の中心である消失点が、なんとイエスの左目に置かれているのである。

しかもその左目が、右目よりも小さく描かれている。

ここまで執拗に、「アシンメトリ現象」を作品に埋め込むことで、彼は何を訴えようとしていたのだろうか。


 私は以前、「アシンメトリ現象」は死へのメタモルフォーゼである、と本にも書いた。

ダ・ヴィンチもまた、人体に規則的な左右差があること、そしてこの現象が死を内包していることを感じとっていたのではないか。

もし、私が『 ダ・ヴィンチ・コード 』のようなミステリーを書くとしたら、ダ・ヴィンチが、「最後の晩餐」でイエスの左目に消失点を置いたのは、イエスの死を予言した構図なのだ、と結論づけることだろう。

                           (花山 水清)


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ダ・ヴィンチ(レオナルド・ダ・ヴィンチ 1452年-1519年)

 ダ・ヴィンチの故郷イタリアでは、歴史上の偉人は通常、ファースト・ネームで表記するそうですが、今回は「ダ・ヴィンチ」と表記しました。

ガレノス(129年頃 - 200年頃)

ヴェサリウス(=アンドレアス・ヴェサリウス、1514年-1564年)

*『ボルジア家の毒薬』(1953年 仏伊合作映画)


※1「8角星形」(=八芒星)  

※2「絵画は触わることのできぬものを触われるように、平らなものを浮き上がっているように、近いものを遠いように思わせること、奇跡さながらである」 ~『レオナルド・ダ・ヴィンチの手記』より

※3「チェーザレ・ボルジアの肖像

※4「ウィトルウィウス的人体図」 

※5「最後の晩餐」         https://tinyurl.com/ydgpdguz

(花山水清メールマガジン 「月刊ハナヤマ通信」 

 

 

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