【 医者が医者を批判するとき 】

  おかげさまで当誌は先月、創刊14周年を迎えることができた。
そこで、既刊の367回分すべてに目を通してみたら、内容が重複している部分も見られた。

私としてはその都度新鮮な気持ちで書いているので、整合性はとれているつもりだ。重複しているのは、その話が何度強調しても、し足りないからでもある。

 繰り返し取り上げている話題の一つに、近藤誠氏の「がんもどき理論」がある。

これからの時代、がんと全く無縁で生きられる人はいない。家族・友人・知人のうち、だれかは必ずがんになる。

そこで、がんという病気をどうとらえるかを考える上で、非常に参考になると思うので、彼の理論について今一度、書いておきたい。


 先日、彼の『 がんは治療か放置か、究極対決 』という対談本を読んだ。

通常、医師の対談本といえば、お友達同士の会話をまとめたようなものばかりである。

ところが、この対談相手はいわば論敵であり、お互い正反対の意見を戦わせて、決着をつけようという主旨だった。

どちらかが論破されれば、地位と名誉どころか患者からの信頼まで失う羽目になるのだから真剣だ。

これまでにも、何人もの医師が近藤誠批判をあちこちで展開してきたが、どれも陰口ばかりで一度も直接対決には至らなかった。

だから、この対談相手である東京女子医大がんセンター長の林和彦医師は、ある意味では勇気がある人なのだろう。

 医学界から総攻撃を受けている近藤氏の「がんもどき理論」については、当誌では度々登場しているので、詳しい説明は省く。

要約すれば、がんには本物のがんとがんもどきの2種類があり、本物のがんなら治療しても治らないし、がん(この場合は固形がん)の治療を受けても縮命効果しかないので、治療を受けるべきではない。

一方、がんもどきなら死に至ることはないので、これまた治療する必要はない。

さらに、がんを早期発見しても救命率は向上しないのだから、がん検診も意味がない、という大胆な理論である。

 医学の世界では、医師同士が個人的にいがみ合うことはあっても、公の場で医師が医師を批判するようなことはない。

これは医学界だけでなく、利権を共有する業界ではすべて同じだろう。

しかし近藤氏に対してだけは、医学界が集中砲火を浴びせ続けているのだから、こんなことは前代未聞である。よほど業界のタブーに触れなければありえないはずだ。では、そのタブーとは何か。

それは、がん治療もがん検診もムダだといってしまうことなのだろう。

 だが今までにも、従来のがん治療を否定した医師なら大勢いたはずだ。

健康食品や漢方薬業界の片棒を担いだり、爪を揉めばがんが治るなどといってみたり、とんでもなく非科学的な持論を展開する医師もいた。

 しかし近藤氏の場合は、彼個人としての意見ではなく、手術・抗がん剤治療の延命率などの最新データに基づいて、あくまでも科学的に発言しているところに彼らとの大きな違いがある。

逆にいえば、あまりにも正直に本当のことをいってしまったことが、医学界の虎の尾を踏む結果となったのか。

以来、彼は業界内の秘密をばらした裏切り者、日本医学界のスノーデンとなったわけだ。

 近藤氏が批判しているのは、主に手術や抗がん剤などのがん治療と、がん検診に対するものだから、それが気に食わないというなら、がん治療とがん検診こそが医学界最大の利権なのだろう。

電力会社が、電気料金を値上げすることに全く痛痒を感じないのと同様、医師は、患者の不利益に対して頓着していないように見える。

しかし自分たちの利権の侵害には敏感だ。

もちろん、表向きはがん治療・がん検診を否定すれば、助かる人も助からなくなるから、近藤誠の発言は看過しがたい、という義憤にかられた形をとっている。

ところが、彼らの近藤氏に対する批判本のいくつかを読んでみると、論点をずらした姑息なものが多い。

何よりも、近藤氏の本の内容を正確に読み取れていない批判が目につく。

意図的にわからないふりをしている気もするが、近藤氏が最新の論文を読み込んだうえでそのデータを根拠にして理論を緻密に構成しているのとは、あまりにも対照的なのだ。

 今回の対談本にしても林氏は本を読んだといっているが、理解できていないと思わせる点が随所に見られた。また論戦相手としてはあまりに勉強不足で、言葉もあいまいだ。

しまいには近藤氏から、「林さんは医学者なのだから、『感じている』とか『信じている』などという根拠不明なことを言わず、もっと具体的な指摘をされたらよかったのに」とたしなめられる始末である。

これでは論破するどころか両者の勝敗はいうまでもない。
 
 この本に限ったことではないが、近藤誠批判はすべてがん治療・がん検診の有効性についての議論に終始している点が読み手の私には納得できない。

その程度の議論なら、単に根拠となるデータをつき合わせれば、自動的に結論が出るではないか。何も近藤氏個人に対して、論戦を挑む必要などない。

わざわざ医学論を戦わせるのなら、彼の「がんもどき理論」そのものこそ、主題とすべきなのである。

 もし仮に、がんに本物のがんとがんもどきの違いがあるならば、彼の理論は画期的であり、従来のがん治療・がん検診は、完全に否定される。

逆に両者に全く違いが見られないなら、彼の今までの発言は否定されるのだから、論点はそこに絞られるべきだ。

ところが今の医学のレベルでは、がんもどきの存在を実証することも否定することも不可能だ。

かのワインバーグですら、「がんはカオスの世界である」と嘆いていたように、がんについてはまだわからないことが多すぎるのである。

近藤氏自身も、本物のがんもがんもどきも同じ遺伝子だから両者を識別することはできないといっている。

また、がん細胞を正常細胞と識別できないから免疫ががん細胞を攻撃できないのであり、免疫ががん細胞を早期から認識さえしていれば、がんは成長できずにすでに消去されているはずだと考えられている。

 しかし私にいわせれば、免疫はがん細胞と正常細胞を識別できているのである。

がん患者の患部に近い部分に触れてみると、がんを中心にしてリンパの腫れが広がっている
 
この事実を見れば、明らかに免疫はがん細胞を異物だと認識していることがわかるのだ。

ところが異物だとわかっていながら攻められないでいる。つまり免疫力のうち、攻撃能力だけが低下した状態なのだ。

 一般的に免疫力の話をするときには、この識別能力と攻撃能力とを一緒くたに論じてしまっているのが誤解の元である。

 攻撃能力の低下に「アシンメトリ現象」が関与している話は、以前にも書いたのでここでは省くが、今重要なのは免疫ががんを認識しているという点だ。

 実に簡単な話で、患部周辺のリンパが腫れているかどうかを確認さえすれば、それががんであるかがんでないかがわかる

すると、検査上はがんだと診断されたなかにも、がんもどきがあることを見つけられるようになる。これで「がんもどき理論」の実証も可能になるのだ。

だが、がんとがんもどきを識別できたとしたら、それはすでに「がんもどき理論」ではなくなる。

両者の違いが識別できないから、がんと「がんもどき」なのであって、識別が可能になった時点で、それは、がんと「がんではないもの」との2つに分けられることになるからだ。

 この事実は医学界にとって大変な衝撃となるだろう。

近藤氏のいう通り、従来のがん治療もがん検診も全く無効だったことがわかるだけではない。そこからは、かなり正確な誤診率まで導き出されてしまう

そればかりか、これまで治療で治ったとされてきたがんは、元々がんではなかったということになるし、治療中に亡くなった人たちも、がん死ではなく治療死だった可能性が否定できなくなるのだ。

 実はすでに米国がん協会では、米国医学界ががんではないものをがんだと誤診・過剰診断してきたこと、それに付随して過剰治療してきた過ちを認め、その数字を発表することで、がん治療のスタンダードを大きく変えようとしている。

さらにがん検診も無意味であるとして全否定する流れになっているという。

それなのにいまだに日本の患者たちの多くがこの事実すら知らされず、がん検診・がん治療を受け続けているのである。


 しかし日本においても、現場の医師たちは自分たちが行っているがん治療の虚しさを常々実感しているはずだ。そしてだれもががん治療そのものに対して少なからず疑いを持っている。

だからこそ、自分ががんになったらがん治療など受けない、と明言する医師が多いのだ。

なかには、がん治療を受けないのは医師に許された特権だと言い放つ医師までいる。それが多くの医師の本音なのだろう。

だがそれが本音であっても、患者に対してその治療はムダだなどといってしまうのは、利権を共有する医師仲間への裏切りになる。そんなことは許されるべきではない。

その思いが、医師たちが近藤誠だけをかくも執拗に攻撃し続ける理由に他ならないだろう。
                             (花山 水清)

注:ここでがんといっているのは、主に固形がんのことであるが、

  近藤誠氏はがんの種類を細かく分けて論評しているので、

  詳細はぜひ彼の著書で直接確認しておいていただきたい。

   『がんは治療か放置か、究極対決』近藤誠・林和彦著
   

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