【見えてきた「アシンメトリ現象」の全体像】

メールマガジン月刊ハナヤマ通信  Vol.360 10/5/2016 

 

 学生の頃、体育の先生に水泳の特訓をしてもらったことがある。


水泳の特訓といっても速く泳ぐためではない。いざというとき溺れないために、いかにゆっくりと泳ぐかが目的だ。そして、ゆっくりと泳ぐための一番のポイントはまず息を吐くことだった。

 水泳の初心者は、呼吸が苦しくなるとやたらと息を吸おうとする。
しかし息を吸おうとするとますます苦しくなって肩に力が入る。すると体が沈んでしまう。これが溺れる人のパターンだ。


逆に息をゆっくり吐けば、意識して空気を吸おうとしなくても楽に吸気ができるようになる。そうすれば、自然に肩の力が抜けて体が浮き、何時間でも泳いでいられるのである。

 この特訓のおかげで私は今でも水泳が得意だ。
また特訓の成果は、日常の生活でも生かされている。常に十分に息を吐くことができるので、極度に緊張して肩に力が入るようなことがない

 だが息を吐くこと、つまり呼気をうまくできる人は案外、少ないようだ。
「息を吐いてください」といわれて、いきなり吐ける人はほとんどいない。
みな一旦、息を大きく吸ってから吐こうとする。
どうやら普段の生活では、息をゆっくりと吐いていない人が多いようなのだ。

 息を吸おう吸おうとしている人の体は常に緊張状態にある。
それでは溺れる人の呼吸のパターンで生活しているのだから疲れやすいし、パフォーマンスも低下して当然だ。


その原因は単なる習慣や精神的なものではない。
これには背骨のズレによる「アシンメトリ現象」が、少なからず関与しているのだ。

 一般的には、緊張したときは深呼吸するとリラックスできるといわれている。
深呼吸で大きく息を吸うと肺が広がって、
その刺激が肺の外側にある伸展受容器を通じて副交感神経に伝達される。それがリラックスにつながるのだろう。

 しかし緊張状態の原因が「アシンメトリ現象」であったなら、深呼吸程度では体の緊張は解けない。


特に胸椎がズレていると、肺を大きく広げることすらできない。
それでは副交感神経がうまく働かなくなる。


また背骨のズレは、交感神経の機能を亢進させるので、体の緊張は一層、増すことになるのだ。

 

 しかし医学上は、緊張して息が荒くなったり速くなったりするのは、交感神経の働きではなく、運動神経のせいだとされている。


緊張状態が続いて息が乱れると体は酸素不足になる。そして体が酸素不足の状態そのものがシグナルとなって、さらにまた運動神経が活性化される。


そのため過換気症候群などの呼吸器症状も、運動神経の活性化がその原因だと考えられているのである。
 
 ではなぜ運動神経が活性化され、体が酸素不足になるのだろうか。
その原因だとされている体の緊張の仕組みすら、医学的に解明されているわけではない。


 だが実際には、それらの大本の原因は胸椎のズレなのである。
胸椎がズレれば肺を大きく広げること、つまり、吸気がしにくくなるから酸素不足になる。

 

また胸椎のズレによって交感神経の機能が亢進するから、緊張状態にもなるのである。

 こうして呼吸筋の異常について考えているうち、「アシンメトリ現象」における大きな発見があった。
今までは「アシンメトリ現象」の体の左右差のみに言及してきたが、実は左右差を伴った上下の位置の異常も存在するのである。


たとえば、


・左の胸鎖乳突筋が緊張して、乳様突起を押し上げた結果、頭蓋が右に倒れる
・左の肩甲骨、左の鎖骨が常に上体方向に位置する
・横隔膜の左側が上体方向に収縮するため、

 ウエストの左側のくびれがなくなる。

 それと同時に、骨盤の左側も引き上げられる

 

などが挙げられる。

 それではなぜ、このような左右差を伴った上下差が発生するのか。その理由が長い間、不明だった。


それが呼吸筋というキーワードを得たことで、全てに説明がつくようになったのだ。

 まず胸椎がズレると、呼吸筋である肋間筋や横隔膜などに過度な緊張が起こる。そのせいで、咳が止まらなくなったり、ぜん息などの呼吸に関する症状が現れる。


そのような症状が続くと、水泳の初心者と同じで本人は懸命に息を吸おうとする。
呼吸筋は息を吸うときは上体方向に向かって収縮し、息を吐くときは逆方向になるので、息を吸おうとする状態が続くと、呼吸筋が上体方向に固定したような形になってしまう。

この一連のメカニズムが、「アシンメトリ現象」の体の形に上下差を生む原因であることがわかったのだ。


今後もさらに形を細分化して解明していくつもりだが、これで「アシンメトリ現象」の体の定型ともいえる全体像が見えてきた。

 だがここでまた新たな疑問が生まれた。
これまでは、アシンメトリ現象はさまざまな疾患と関わっているため、この現象を体の異常性であると認識してきた。


しかし「アシンメトリ現象」そのものは、あまりにも多くの人に見られる現象であり、正常な形の人を探すほうが難しいぐらいなのだ。


もし誰もが同じ形に変化するのであれば、それはもはや異常とはいえないのではないか。シワや白髪の存在を、異常だと騒ぎ立てるようなことになってはいないか。ふとそんな疑念がよぎった。

 ひょっとすると「アシンメトリ現象」に見られる体の変化は、死へのメタモルフォーゼ(変身)なのだろうか。


人間の体は生まれてから死ぬまでの間に、決められた形の変化を遂げるように、すでにプログラムされているのかもしれない。

 

 サケが産卵のために川を遡上する際、鼻が曲がったり、背が張り出したりするが、それと同様の仕組みが人間にも存在するのだろうか。


そうであれば、疾患自体も単にその変化に付随する現象に過ぎないのか。

 「アシンメトリ現象」が、死へ向かうメタモルフォーゼだと考えたとき、生から死への変遷を俯瞰すれば、それはらせんを描く生命の一過程だと捉えることもできる。


 生命の発生の形をらせんだと考えたのは、詩人であり自然科学者でもあったゲーテである。


 確かに子どもが生まれ落ちるときにも、らせん状に回転しながら産道を通過する。このときのらせんの方向は確認できていないが、ヒトのへその緒が巻く方向には、重力に対して反時計回りという規則性があるそうだ。

 

 生命がその発生時に描くらせんが反時計回りであるなら、生命の終息の時点ではそれが反転するのではないか。


 実際のところ、「アシンメトリ現象」は生命の発生時とは逆に、重力に対して時計回りの方向性をもつ。このことからも、「アシンメトリ現象」における体の形の変化は、生命が終息へと向かう分岐点となっていると見ることができる。これは宇宙が発生から終息に至るまでにたどる過程と酷似している。

 現在の医学教育では死を敗北と捉え、その原因となる病気と闘おうとする。
だが死を忌避するだけではあまりにも情緒的であり、科学的とはいえない。


そのような捉え方の行き着く先には常に完全なる敗北しか待ってはいない。
そもそも生命の摂理は、そんな単純な考え方でくくれるものではないはずだ。

 

生命を病気という視点から捉えているだけでは、医学はもう限界に来ている。今こそ、生命の根源から病気という現象を見つめ直してみる必要があるだろう。
                             (花山 水清)

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