児童絵画とシン・ゴジラ


昔、近所の子供に絵画を教えていたことがある。

子供の絵というのは、大人にはない自由な表現が特徴だ。

そこには日常の細部に対する驚きや、われわれ大人からは失われてしまった喜びがあふれている。

その輝きを目にすることは楽しくもあり、同じ表現者として切なくもあった。


それがあるとき、それまで目にしたことのない絵を描き始めた子がいた。

何だろうと思っていたら、当時、流行し始めていたテレビゲームを題材にしていたのだ。

例えテレビゲームの世界でも、子供にとっては現実であり、実体験と変わりがない。

だが、何かが変だった。


そこには、まるで平面を重ね合わせたような、奇妙な空間が描かれている。

子供らしい次元を超えた視点や、自由な空間表現とは全く異質なものだった。

この違和感は、私のなかで時代の変化として記憶された。


実は数年前に観た日本映画「シン・ゴジラ」の映像にも、私は同じ印象をもった。

CGを使っているからではない。

アメリカ映画なら、CGにも立体感と強い臨場感がみなぎっている。

アニメーションであっても、宮崎駿の作品は昔ながらの空間把握で描かれている。

ところが、2016年の作品である「シン・ゴジラ」は違った。

私の目には、平面を重ね合わせたような、あの奇妙な絵の世界にしか見えないのだ。

しかも、それを誰もおかしいと感じなくなっていることにも驚いた。


私が油絵科の学生だったころ、アクリル絵具とエアブラシが登場した。

この新しい素材の登場によって、油絵の世界まで一変した。

エアブラシを使えば、たちまち写真のようなスーパーリアリズムの絵画が描けるのだ。

しかし当時は、エアブラシで仕上げた絵画は単なるレリーフ(浮き彫り細工)のようで、リアルであっても全く立体感がなかった。


絵画のことをよく知らないと、写真をそのまま写して描けば本物に見えると思うだろう。

だが、写真をそのまま描いても、それは単に写真を写した絵にしかならない。

多少なりとも鑑賞眼があれば、写真を見て描いた絵だということは即座にわかる。

いくらうまく描いても、立体になっていないのだ。


では何が違うのか。

絵画で立体を表現するなら、対象物の後ろに回り込むような空間処理が必要なのである。

立体そのものを見て描けば、意識しなくても立体としての空間を描こうとするものだ。

そうでなければ、レリーフのような、立体なのは表だけで後ろ側は平面にしか見えない絵になってしまう。

だから当時のわれわれは、エアブラシなんかダメだと思っていたのである。


ところが今の日本では、そのレリーフのようなリアリズムがすっかり定着してしまった。

レリーフ状の薄っぺらな立体もどきを見ても、誰も違和感をもたなくなっている。

この3、40年のうちに、絵を見る人の目のほうが変わってしまったのだ。

これは見方が変わったのではない。

日本人の脳そのものが、時代とともに変化してしまったのである。

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