花山水清
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essay  ·  2019/02/27

展覧会の絵

昨年2月、大学の同期生たちが銀座でグループ展を行なった。

招待されて出かけてみたら、40年振りの旧友たちはみな私同様ジジイの顔をしていた。

この40年の間、美術の世界でそれぞれが精一杯奮闘していたようで、彼らの顔を眺めているといろいろな意味で感慨深かった。


ところで、私が学生の頃はこういった絵画を見せる美術展のことは展覧会といっていた。

それがいつしか、展示会と呼ばれることが増えている。

だが展覧会を展示会というのは、私には非常に違和感がある。

展示会といえば、着物や宝石の販売が目的の会ではなかったのか。

辞書などで調べてみても、展覧会は美術品を並べて見せる催し、展示会は企業の製品や商品を公開し販売もする会と書いてある。

展覧では天覧とまぎらわしいとか、絵の販売もするのだから展示会でいいだろうということなのか。


しかし、展覧会を展示会というのが当たり前になったのなら、ムソルグスキーの代表曲「展覧会の絵」も「展示会の絵」というのだろうか。

それでは優雅な美術のイメージから遠のいて、グッと商売っ気がにじむ気がする。

これは私の感覚が古いだけかもしれない。

言葉は生き物だから、時代によって変わるのは仕方がないことだろう。


そういえば、茶道のことをNHKラジオでは「チャドウ」というのも気になっていた。

調べてみたら、こちらは「サドウ」のほうが新しい言い方であって、本来は「チャドウ」というものだそうだ。

それなら、古い人間は率先して「チャドウ」というべきか。

今後は寅さんに倣って、喫茶店のことだって「キッチャ店」というようにしなくてはなるまい。

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