あるとき、武蔵野美術大学の相沢韶男先生が、リヤカーに自著を積んで売っている男に出会った。話を聞くと、これからリヤカーを引いて日本中を売って回るつもりだという。
早速、彼の本を買い求めて読んでみると、とんでもない名著であった。学生たちにもすすめ、一部地域では話題の本となった。
この本『馬の骨放浪記』を書いた山田勝三さんは、大正生まれの全く無名の人である。彼には親も家もなく、橋の下での記憶から始まる壮絶な人生を綴った自伝だ。
自分の名前も年齢もわからないまま、兵隊として戦争で中国にも渡った。そして帰国後、頭が禿げ上がる年齢になってから、夜間中学に通い始めて文字を覚えた。そしてこの本を書いたのである。千枚にも及ぶ手書きの原稿を持ち込んだ出版社で、出版に至る経緯にもドラマがあった。
本書を超える本は存在しないのではないかと思うほど、強烈な内容である。孤児の悲惨、里親からの虐待、軍隊でのいじめ、詐欺、それでも曲がることのないまっすぐな魂。ディケンズの小説『オリバー・ツイスト』など、はるか足元にも及ばない驚愕の「実話」なのだ。
これほどの本が絶版になったままなのは本当に惜しい。私はなんとかこの本の存在を残したくて、自著の参考図書のリストにも紛れ込ませた。だれも気づいていないようだが、「馬の骨」といっても決して博物学の本ではないのである。