花山水清
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essay  ·  2019/03/03

美術家の本懐


私は美術家である。

アーティストと表現することもあるが、自分では美術家だと思っている。


美術家の目的は、自然のなかから美を見つけ出し、それを切り取ることである。

自然から美を見つけること自体はむずかしいことではない。

神が作った自然のなかに、美しくないものなど存在しないからだ。

逆に、美とかけ離れたものを探すとしたら、人間の頭のなかか人間が作ったものぐらいだろう。


しかし美術家というのは、なまじ美を追求するあまり、自分の頭のなかの美しくない部分ばかりが際立ってくる。

以前の私も、美術家として大きな間違いを犯していた。

自然のなかから美を切り取るどころか、過去にだれかが見つけた美を寄せ集めて、借り物で自分の美の世界を作り上げようとしていたのだ。


そのような偽りの美術には、感動も喜びもあるはずがない。

レオナルド・ダ・ヴィンチは、「画家は自然以外のものを手本に選べば、いたずらに自分を疲労させる」といった。

彼のいう通り、あるのは苦しみだけだった。

美術家であろうとすれば、そんなウソを生涯つき通すしかない。

そのため、私の作品には常に後ろめたさがつきまとっていた。

美術の世界の怖いところは、そのウソを自分以外はだれにも見抜けないことなのだ。


実はほとんどの美術家は本人が意識するしないにかかわらず、私と同じ苦しみを味わっている。

ピカソやロダンほどの天才でも、やはり似たような経験をしていたはずだ。

皮肉なことに、美術は決して美術家を救ってはくれない。

だから美術家は、美術の世界ばかりか、現実の世界から逃げ出してしまう者も多いのである。


しかし私は、人体の「アシンメトリ現象」の発見を機に、自分にも世間にもウソをつかなくてすむようになった。

「アシンメトリ現象」の研究は、私にとって心底没頭できる美の探究なのである。

おかげで偽りの美術の呪縛からは完全に解放された。

美術家として評価されるかどうかは別として、美術家であろうとする自分を、今では誇りに思えるのである。


そして今、美術の世界から医学の世界を眺めるようになってみると、そこにはかつての私と同じ表情を隠し持った人たちが大勢いる。

彼らもまた、苦しみのなかにいるのである。

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tagPlaceholderカテゴリ: 美術, 生き方
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