私は日本でもっとも美しい仏像は、法隆寺の百済観音像だと思っている。
百済観音像といえば、飛鳥時代を代表する仏像の一つである。
その左右対称ですらりとした八頭身は、アルカイック様式を思わせる。
しかし日本では、このようなプロポーションを持つ仏像は他にはない。
日本のほとんどの仏像は、顔が大きくて寸胴で脚が短い、まるっきり日本人体型そのものなのである。
渡岸寺の十一面観音像にしても、あれだけ美しい姿でありながら、脚は極端に短い。
なぜ日本の仏像はこんなに脚が短いのだろうか。
以前読んだ本には、拝観者が仏像を仰ぎ見るのに都合が良いように、下半身を短くしてあるのだと書かれていた。
当時はその説明で納得していたが、よくよく考えてみればそんなわけがない。
仏像を見上げるのなら、遠近法では逆の表現になるはずなのだ。
遠近法には、大きく分けて線遠近法と逆遠近法とがある。
線遠近法では遠くのものを小さく、近くのものを大きく表現する。
一般的に遠近法として知られているのは、この線遠近法のことである。
逆遠近法では、その反対になる。
信仰の対象となる仏像であれば、大きさを強調するためには、線遠近法を用いて脚を長く上半身を短くしたほうが、より効果的だ。
現に百済観音像の場合は、そのように造られているのである。
それなのに、なぜ日本の仏像の多くは逆遠近法で造られているのだろうか。
実は遠近法と逆遠近法には、遠近の向きだけでなくもう一つ大きな違いがある。
それは視点の違いなのだ。
線遠近法の場合は、作者は鑑賞者と同じ視点に立って、見る側の目線で対象物を造り上げる。
ところが逆遠近法となると、作者の視点は対象物の側に立つ。
そして内側から鑑賞者を見る。
つまり、視点が180度逆転するのである。
すると日本の仏像を造った仏師の目線は、拝観者の側ではなく仏の目線だったことになる。
日本の仏像の脚が短いのは、単にわれわれに似せたわけではなく、仏が衆生を見下ろしている形を表現した、特殊なものだったのだ。