現在、遠近法といえば線遠近法のことを指す。
ところが、線遠近法が絵画の表現方法として確立したのは、ルネサンス期以降のわずか500年程度のことである。
人類最古の芸術作品といわれるアルタミラやラスコーの洞窟壁画が描かれたのが、およそ3万年も前であることに比べると、500年前などごく最近のことなのだ。
そもそも、人間の視点というのは線遠近法ではない。
それは子供の描いた絵を見ればよくわかる。
子供に画材を与えておけば、描き方など教えなくても好き勝手に絵を描き出す。
お絵かきに熱中している彼らの視点は、画面のなかの世界に没入し、自由自在に飛び回る。
そのときの子供たちは、おしなべてみな天才だ。
大人など到底まねのできない画才を発揮して、決して倦むことがない。
そんな彼らの絵を見続けた結果、私は自分で絵を描くことを断念したのである。
ところが、その天才たちにも、成長とともに才能が枯渇するときがやってくる。
「うまく描こう」「うまいといわれたい」と思うようになったら終わりだ。
一度、他人の目を意識しだすと、もう二度と元の世界には戻れない。
他人の目を意識したときを境に、子供の視点から大人の視点へと180度変わってしまう。
そこで生み出される絵画も、子供の絵から大人の絵へと変貌する。
子供の自由な視点というのは、ピーター・パンが空を飛べなくなるのにも似て、失われたらもう取り戻すことができないのである。
実は日本の絵画は元々は逆遠近法で表現されていた。
源氏物語絵巻などは、逆遠近法によって独自の世界観を展開している。
ところが、江戸時代になると、徐々に西洋絵画の影響が出始める。
そのため、浮世絵にまで線遠近法を取り入れた作品が登場する。
一方、東洲斎写楽の役者絵、特に大首絵と呼ばれる作品は、顔が大きく極端に手が小さい逆遠近法で描かれている。
もし彼の役者絵がありきたりな線遠近法で描かれていたなら、歴史に名を残すことはなかっただろう。
また、ヨーロッパの印象派の画家たちも、浮世絵に興味を示すことはなかったはずだ。
当時の印象派の画家たちは、浮世絵のなかにかつての子供のころの視点を見出して、そこに鮮烈な衝撃を受けたに違いないのである。