Vol.359 9/7/2016 

がんはなぜ痛くないのか

 あるとき私は、骨のズレには2つの種類があることに気がついた。
1つは、腰痛に代表されるような痛みを出すタイプのズレ、もう1つは、が
ん患者の体に見られるような、痛みを出さないズレである。
要するに、ズレには、発痛と鎮痛という相反する性質をもつ、2つのタイプ
があるのだ。

 前回の当誌では、骨のズレは、筋肉がひきつった状態だと説明した。
解剖学者の三木成夫(1925-1987)はその著書のなかで、「およそ筋肉と名の
つくものであれば、骨格筋であれ、内臓筋であれ、血管筋であれ、それらの
収縮は、例外なく痛みにつながる」と断言している。
ところが実際には、極端なズレ、すなわち筋肉が強くひきつっているのに、
全く痛みを出していない場合があるのだ。
痛みを全く出さないひきつりというのは、三木成夫の常識とは、かなりかけ
離れた現象である。
がんの発生につながるほど極端なズレなのに、なぜ痛くないのか。
これは、私にとっても長年の疑問であった。
もしかすると、がんに関係するタイプのズレには、何らかの鎮痛作用があり、
そのメカニズムは、がんの発生そのものにも、深く関与しているのだろうか。

 そもそも、がんというのは、痛みなどの自覚症状が現れにくい病気である。
そのため、たまたま受けた検査でがんが発見されたときには、すでに末期の
状態まで進行していた、などということが起こる。
しかし、私はがん患者の体には、共通した特徴があることを見つけた。
彼らの体は、骨格筋が異常に緊張した状態にあり、また、外からの刺激(体
性感覚刺激)に対して、反応が鈍くなっている。
つまり、体が固くこわばっていて、指で押してみても、普通の人のようには
痛みを感じないのである。
そして、そういう人の体には、痛みを出さないタイプの大きなズレがあり、
がんは必ず、その神経支配上に発生しているのだった。

 

 ところが、当初は全く症状を出さなかったがんも、末期になると、一変し
て強い痛みを出すようになることが知られている。
このことが、がんという病気が最も恐れられている理由でもあるが、最近、
このがんの痛みに関して、近藤誠や中村仁一といった著名な医師が、これま
での常識をくつがえす発言をしている。
彼らは患者たちのデータを元にして、がんという病気は、積極的な治療を受
けなければ、末期であろうとも痛みなどの苦しみはないと断言しているのだ。
一般のがん専門医であれば、必ず患者のがんを治療するので、がんを全く治
療しなかった場合のデータなど持っていない。
しかし、近藤医師たちは、激痛などの症状が起こるのは、病院で手術・放射
線・抗がん剤などの治療を、積極的に行ったからだと結論づけている。

 確かに、このような治療方法がなかった時代には、現代ほど、がんという
病気は恐れられていなかった。
逆に、昔なら老衰だといわれて安らかに死んでいった人たちの多くが、実は
がん死だっただろうといわれている。
それぐらい、高齢者にとって、がんは楽に死ねる病気だったのだ。
それがなぜ、病院で積極的な治療を受けると、地獄の苦しみを味わうことに
なるのか。
この疑問に対して、明確に解答できる医師はいない。

 通常、がんによる痛みとは、がんが内臓器官や神経に浸潤したことによる
痛み・骨転移による痛み・血管閉塞による痛み・手術の神経損傷の痛み・抗
がん剤や放射線治療の副作用による痛み、などである。
しかし、このどれもが、がんの痛みの直接的な原因であるとは考えにくい。
また、がんの痛みというのは、痛みの度合いが、日々エスカレートしていく
性質がある。
その理由として、成長したがんが、知覚神経を巻き込むからだと説明される
ことが多い。
だが、在宅緩和ケア専門医の大岩孝司(『がんの最後は痛くない』著者)は、
1000人以上のがん患者を看取った経験から、患者の半数は最期まで痛みを出
さなかったといっている。
実際のところ、ひたすら成長を続けるがん細胞が、知覚神経を巻き込まない
などということはありえない。
がん細胞が知覚神経を巻き込むことで痛みが出るのであれば、がんが進行し
た患者は全員、必ず激痛に襲われることになる。
そうはならないのだから、これが痛みの原因ではないということだ。

 以前の当誌でも書いたように、私は、がん患者が訴える痛みの最大の原因
は、骨のズレだと考えている。
例えば、がんの骨転移による痛みは、病院でなかなか制御できないといわれ
るが、実は、その痛みの多くは、ズレを戻すことでほぼ解消してしまうのだ。
しかし、これでは私の論理に、重大な矛盾が生じることになる。
がんの発症に関わっている骨のズレは、痛みを出さないタイプだったはずだ。
それがなぜ、一転して痛みを出すようになったのか。
何が体内で変化したのか。
私はその原因を、抗がん剤の影響ではないかと考えた。

 今まで、私のところに痛みで来院したがん患者たちは、皆、抗がん剤治療
を経験していた。
聞いてみると、痛みが出現したのは、抗がん剤を投与された後からだという。
彼らの体の印象からも、ある種の抗がん剤が、ズレの痛みの抑制機能を、解
除する働きをしていることが感じ取れた。
つまり、抗がん剤が、寝た子を起こしたとしか考えられないのである。

 もちろん、その痛みは、抗がん剤の副作用による痛みとは全く違う。
痛みの原因は、がんを発生させるほどの極端なズレなのだから、それが一旦、
痛みを出すようになれば、言葉で表現できないほどの激痛になることは、想
像に難くない。
しかも、抗がん剤治療を受けると、患者の多くは骨格筋の緊張が増すため、
筋肉のひきつりが一層強まる。
そうしてますますズレ幅が大きくなって、痛みも激しさを増していくのであ
る。

 実は、モルフォセラピーにおいては、がん患者が痛みを感じやすくなるこ
と自体は、プラスの作用だと考える。
そうなると、抗がん剤によるズレの発痛作用も、あながちマイナス面だけで
はないのかもしれない。
だが、抗がん剤に使われているのは、元々は細胞を殺すための毒薬であり、
劇薬扱いの薬である。
そのために、今まで多くのがん患者が、がんそのものではなく、抗がん剤の
毒性で死んでいるのだ。
もし、抗がん剤から毒性を取り除き、ズレの発痛作用のみを利用できるなら、
より効果的ながん治療が可能になるかもしれない。
 
 今はどうだか知らないが、ごく最近まで、日本のがんの疼痛治療は、先進
諸国で最悪だといわれていた。
その分、がんの疼痛に関しては、少なからず研究されてきたことだろう。
しかし、がんがなぜ痛むのかもさることながら、なぜ、初期には痛みを出さ
ないのかということが、がん研究の最大のポイントではないだろうか。

 最初のうち、がんには痛みなどの自覚症状がないことは、医師を含めてだ
れもが知っている。
だが、放置したがんが、患者の命を奪うような段階になっても、まだ痛みが
ないとしたら、そこにはいったい、どのような鎮痛作用が働いているのか。
このメカニズムを説明できる人はいない。
それどころか、こんな不可解な現象を、だれも疑問にすら思っていない。
かくいう私も、長い間、全く疑問を持たずにいた。
もっと早く気づいていれば、それなりの対処ができた症例もあったと思う。
そのことが悔やまれる。

 そもそも、医学というのは、症状のある疾患に対してしか、目を向けにく
い。
しかし、皮肉なことに、重大疾患の多くは、自覚的な症状がほとんどない。
ではなぜ、症状がないのか。
このことこそ、現在の医学で、最も抜け落ちた視点かもしれない。
特に、がんの鎮痛のメカニズムを解明することは、がんという病気の成り立
ちを知ることでもある。
それが、がんの予防、並びに治療の、重大な糸口になるはずだ。
さらに、鎮痛タイプのズレのメカニズムまで解明できれば、がんだけでなく、
さまざまな疾患の解決への助けにもなる。
この道の先には、大きな希望があると私は考えているのである。
                             (花山 水清)

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