メールマガジン「月刊ハナヤマ通信」400号 2020/02 改訂2020/12
体の左側にだけ現れる知覚と形態の特異的な異常のことを、「アシンメトリ現象」という。
この現象は、背骨が左にズレることによって引き起こされている。
前回の当誌で私の昭和の記憶をたどってみたら、腰痛からがんにいたるまでのさまざまな疾患がこの半世紀で急増していたことにあらためて驚いた。
しかもこれらの疾患には、全て背骨のズレが関与しているのだ。
つまり背骨がズレた人が増えたことで、背骨のズレによって引き起こされる疾患も増えていたのである。
それではなぜ、背骨がズレた人が増えたのだろうか。
この研究を始めたころは、「アシンメトリ現象」の原因物質として、植物毒のアルカロイドを有力視していた。
古代ペルーの古人骨を調査したとき、「アシンメトリ現象」の特徴が顕著だったことから、当時の彼らが日常的に摂取していたコカやタバコ、キニーネ、ジャガイモなどに含まれるアルカロイドに目をつけたのだ。
アルカロイドと人類とのかかわりは、およそ1万年前から始まる。
人類史を少し振り返ってみるなら、人類の歴史とはいわば飢餓との戦いであったことがわかる。
いつ飢え死にするかわからないから、常に食糧を求めて狩猟採集に明け暮れていたのだ。
それが約1万年前に農耕が始まったことで、植物を大量に生産できるようになった。
その結果、人類の食性は変化して植物食が増えた。
おかげで飢餓の不安は少しだけ遠のいたが、そこには大きな問題があったのだ。
多くの植物は、毒性を備えることで虫や動物などから身を守っている。
毒性のせいで味が渋かったり苦かったりすれば、食べられずにすむからだ。
もちろん虫や動物だけでなく、人間にとっても毒は毒だ。
庭先に生えている植物を手当たり次第に食べていたら、人間もまずまちがいなく植物毒で死んでしまう。
どこでも見かけるスイセンやキョウチクトウ、チョウセンアサガオ、スズランなども、花はキレイでも食べれば猛毒である。
それなのに、これほど身近に猛毒の植物があることなど、全く知らないで暮らしている人は意外に多いのだ。
今ではあまりにも身近なジャガイモにしても、江戸時代に日本に渡ってきたころは、まだまだソラニン(アルカロイド)が強すぎて一般的な食べ物にはならなかった。
品種改良が進んだ現代のジャガイモですら、ソラニンを多く含む芽の部分を誤食して死ぬ人がいるらしい。
また私たちの主食であるコメなら、アルカロイドは胚芽の部分に多い。
そのため玄米の状態でコメを食べ続けていると、必然的にアルカロイドの摂取量が増えてしまう。
かつての人類は、こういった植物性のアルカロイドが原因で「アシンメトリ現象」を引き起こしていたのである。
しかし現在は状況が大きく異なっている。
18世紀後半に始まった産業革命以降の自然科学の進歩は、全く新たな化学物質や、人類が浴びたことのない量と種類の放射線などを生み出してきた。
それらが敵味方入り乱れた状態で、人体にとてつもなく複雑な影響を及ぼすようになったのだ。
なかでも農薬などの化学物質が及ぼす影響は、レイチェル・カーソンの『沈黙の春』が出版された1962年以来、世界中で注目されてきた。
日本でもその邦訳は話題になったが、1975年に有吉佐和子の『複合汚染』が出版されたことで、大きな社会問題として意識されるようになった。
それまでの日本といえば、環境破壊など全く意に介さず、ひたすら高度経済成長の路線をひた走っていた。
その姿は世界から、「破滅の急行列車」と揶揄されていたのだ。
当時学生だった私も、『複合汚染』を読んでかなりの衝撃を受けた記憶がある。
今回あらためて読み返してみると、「化学物質の種類はこの100年で200万倍にまでなっている」という数字に目が止まった。
驚くべき数字だが、現在はさらに桁ちがいの種類と膨大な量の化学物質が、新たに環境中に放出されているのである。
その影響たるや、全く未知の領域に突入していることは明白だ。
また、人類を取り巻く環境の問題はそれだけに留まらない。
1895年に放射線の存在が発見されて以来、軍事・発電・医療などへの利用を通して、われわれは自然界ではありえなかった量の放射線にさらされながら暮らしている。
しかも2011年に起きた原発爆発事故以後の日本は、もはや「破滅の急行列車」どころではなくなってしまったのである。
今や「アシンメトリ現象」の原因物質も、アルカロイド単独とはいえなくなった。
食品や薬、タバコなどに含まれるアルカロイドに加え、食品添加物や農薬などの化学物質、水銀などの重金属、数々の放射性物質などの要因がいくつも重なり合うことで、われわれを取り巻く環境がまるごと人体に対して複雑な作用を及ぼしている。
このような環境では犯人を探すよりも、犯人ではない物質を特定するほうが難しいぐらいなのだ。
そして「アシンメトリ現象」そのものも、アルカロイドが単独犯だったころとちがって、非常に難解かつ厄介な状態になっている。
これが、この半世紀で腰痛からがんにいたるまで、背骨のズレによる疾患が急激に増えた理由だろう。
ところがこのような人体の異変に対して、肝心の医学界では事態を深刻に受け止めようとしていない。
腰痛からがんまでが急激に増加している理由を、ことごとく精神的ストレス病因論で片付けようとしているのだ。
最近ではあまり耳にすることはないが、「健全な精神は健全な肉体に宿る」という言葉がある。
これは古代ローマの風刺詩人、ユウェナリスの言葉として知られている。
確かに古代ローマから昭和の時代までは、精神の元は肉体にあった。
これは科学的にも正しかったはずである。
だが今の医学では、この因果律までが逆転してしまった。
「精神が健全ならば、肉体は病気にはならない」などというカルト的な思考に陥っているのだ。
あの原発爆発直後にも、ある著名な医師が「(被曝しても)笑っていればがんにならない」などと公言していて唖然とした。
医学としても科学としても看過できない話だが、私の知る限り、この発言に対して公の場で反論する医師もいなかった。
私はそのことにも驚いたが、当時の日本はまるで集団催眠の様相を呈していたのである。
彼らのいう通り、本当に精神的ストレスで病気になるものなら、彼らは腰痛からがんまでが心療内科で治せるとでも思っているのだろうか。
論理的に考えて、私にはとうていそうは思えない。
先述のユウェナリスは、腐敗したローマ社会における愚行を、精神の退廃だとして痛烈に批判した人だった。
しかし彼の生きた時代とちがって、現代で問われるべきは精神ではない。
問題なのは、著しく異常になってしまった肉体のほうであり、これは人類存亡の危機だといえる。
もし現代の医師たちにこの事実を直視する勇気があれば、ストレスが原因だなどといってのんびりしている場合でないことは、自ずとわかるはずなのだ。
(花山 水清)