メールマガジン「月刊ハナヤマ通信」395号 2019/09 改訂2020/12
人間の体は、本来は左右対称な形をしている。
しかし、内臓の形は左右非対称になっている。
どちらも当たり前のこととして聞いているので、だれも気にもとめない話だろう。
ではなぜ体の外側は対称で、内側は非対称という二重構造になっているのか。
実はこの疑問からは、思いもよらない話が展開するのである。
進化の過程で体の形が左右対称になったのは、効率よく獲物を捕るためだといわれている。
その一方で、内臓がなぜ左右非対称なのかは理由が見当たらない。
ひょっとするとわれわれ人類はいまだ進化の途中であり、内臓もこれから左右対称な形になっていくのだろうか。
ところが実際には内臓は対称に向かうどころか、より一層、非対称化しようとしている。
しかも対称であるはずの体の形までが、近年は急激に左右非対称になっているのだ。
なぜこのような変化が起きるのか。
このなぞを解く前に、まずは内臓について少し考えてみよう。
日本語というのは語彙の豊富な言語だといわれる。
だが内臓を表現する言葉となると、古くはワタとキモしかなかった。
そこからは、日本人は内臓の存在などあまり重要視してこなかったことがわかる。
魚をさばくとき、私たちはハラワタはみな無造作に捨ててしまう。
そして残った身の部分をきれいに切りそろえて、刺し身などにして供する。
逆にハラワタだけをきれいに盛り付けてみても、だれもなかなか箸をつけないだろう。
肉食動物なら獲物のハラワタから真っ先に食べるものだが、たいていの人はハラワタを見せられると食欲をなくしてしまうはずだ。
どうもハラワタというのは見た目が悪い。
これは神の美意識でも同じなのだろうか。
神様は内臓が人目につかないように、体のなかにしまい込む形で人間を創った。
しかも内臓の配置も整然としているとはいいがたい。
急な来客で、部屋に散らかっている物をあわてて押し入れに突っ込んで、ふすまを閉めたようにすら見える。
今どき押し入れに例えるのもどうかと思うが、昭和生まれの日本人にはリアリティがある話ではなかろうか。
押し入れだと見れば、横隔膜という仕切り板で分けられた上の段が胸腔で、下のスペースが腹腔だ。
胸腔には肺や心臓があり、腹腔には肝臓や胃、腎臓、腸などがしまい込まれている。
なぜ上下二段に仕切られているのかも興味深いが、さらにおもしろいのは内臓の対器官の存在だ。
対器官というのは、肺や腎臓、卵巣、精巣のように、左右1つずつが対になっている臓器のことである。
対器官は左右の両方が同じ機能をもっているので、片方はもう片方の予備的な存在だと考えられ、それ以上の意味は見出されていない。
しかし機能は同じなのに、形は左右で微妙にちがっている。
そのちがいは押し入れのスペースの都合なのだろうか。
一般の人間が内臓の形を知ろうと思えば、市販の解剖図に頼るしかない。
しかしどの解剖図を見ても、お手本となる臓器を写したかのように似通っている。
ところが本物の臓器は、決して解剖図のようにきれいな形はしていないはずだ。
胃などはたいてい下垂して変形しているし、臓器によっては老化で萎縮もしているだろう。
まして解剖図のお手本になっているのは、生きた健康体の臓器ではない。
みな亡くなった人のものなのである。
私の考察にしても、そういった解剖図を眺めての判断なので、確定的な話ではない。
それでも、解剖図をいくつも並べて眺めていると、内臓の形態にはある種の共通性があることがわかってきた。
例えば対器官は、背骨を中心としてそれぞれが左右に振り分けられているが、左は必ず上にある。
肺も腎臓も卵巣も、下降する前の胎児の精巣までもが、左の器官は右よりも上体方向に位置しているのである。
さらによく見ると、それらはみな一方向に旋回するような形になっている。
しかもその旋回がらせんを描いて、「アシンメトリ現象」の動きと方向が一致しているのだ。
こういった共通点は、対器官だけの特徴ではない。
心臓や胃といった単独の臓器にも、「アシンメトリ現象」と同じ方向のらせんの動きが見てとれるのである。
心臓や胃は、もともと体の中心よりも左寄りに位置している。
そしてどの解剖図でも、心臓や胃は旋回しているように見える。
ねじられながら左側に押し付けられた形になっているのだ。
その結果、左の肺も心臓に押し付けられたように変形している。
また心臓の場合、大動脈弓や肺動脈、心耳と呼ばれる部分も左側の位置が高い。
だから心臓は、先端部の心尖をつまんでクイッとひねったような形である。
さらに十二指腸も、胃へとつながる部分はやはりらせんを描いている。
要するに、内臓の形からはことごとくらせんの動きが見て取れるのだ。
らせんとは、方向性を持つことで対称性が破れた状態のことである。
内臓の形が左右非対称なのも、そこにはらせんという方向性を持ったシステムが、発生の段階からもともと備わっているからだったのだ。
しかも、そのらせんシステムをさらに増強させているのが、「アシンメトリ現象」だったという発見は驚きに値する。
そして、このように人体のらせんシステムを追究していくと、やはり前々回の当誌(※)でお伝えしたように、結局、ゲーテの形態学にたどりつくことになるのである。
(花山 水清)
※393号【ゲーテの形態学と「アシンメトリ現象」】参照