メールマガジン「月刊ハナヤマ通信」380号 2018/06
今から20年ほど前のある日、私は人の体の形には左右差があり、そこに規則性まであることに気づいて鳥肌が立つほど驚いた。
しかしこんな身近な現象が、今まで誰にも知られていないはずはないし、私が知らなかっただけで、すでに一般常識なのだろうとも考えた。
そこで主だった医学関係の本を調べてみたが、この現象に関する記述を見つけることはできなかった。
ただ、解剖学者の三木成夫(1925-1987年)が書き残した『人間生命の誕生』という本にだけは、それらしい記述があった。
「不調を訴える学生は、背中の左側、ちょうど胸椎7~9番あたりの筋肉にしこりを持っている人が多い。この部分を手で押すと、防御反射が起こる」
これは明らかに、「アシンメトリ現象」のことなのである。
ところが続けて彼は、「左に多いが、もちろん右もある」といって、この現象が左一側性であることを否定した。
確かに見方によっては、右側が盛り上がっているように見えることがある。
だが調べるときの体位をうつ伏せに限定すれば、盛り上がっているのは必ず左側であることがわかったはずだ。
本当は彼も、これが左一側性の現象だと気づいていたのではないか。
しかし彼のなかの医学者としての常識が、即座に「そんなはずはない」といって事実を打ち消してしまったのだろう。
「そんなはずはない」「そんなことはありえない」という否定の言葉は、常識に支配された世界の常套句である。
特に、科学の世界の新発見に対して使われることが多い。
だが科学とは、それまでの常識を覆すことによってのみ、進歩してきたのではなかったか。
たとえば、かつてウェゲナー(1880-1930年)という気象学者がいた。
彼は世界地図を眺めているとき、南大西洋を挟んで、南アメリカ大陸の東側の海岸線と、アフリカ大陸の西側の海岸線とが、よく似ていることに気がついた。
そこから彼は、これらが元は一つの大陸であったと考察し、「大陸移動説」を発表したのである。
そして、その当時の地質学の専門家たちから彼に向けられた言葉も、「そんなはずはない」だったのだ。
しかし、かのフランシス・ベーコン(1561-1626年)も、ウェゲナーと同じように考えていたというし、素直な目で世界地図を見れば、小学生でも同じ発想をするはずだ。
ところが、それを実際に確かめてみようとしたのは、専門外のウェゲナーただ一人だったのである。
これは科学と常識を語るうえで、ガリレオの地動説にも似た象徴的な話だろう。
私も、前著『からだの異常はなぜ左に現れるのか』を出版した際には、「私もそんな気がしていた」という感想を複数の読者からいただいた。
「アシンメトリ現象」というのは、肉眼で見てわかることだから、常識に支配されてさえいなければ、誰でも簡単に気づけることだ。
それなのに、この事実を元にして「医学常識がまちがっている」というと、常識にとらわれた人たちからは「それは医学常識とは違うから、まちがいだ」といわれてしまう。
彼らは自分の目で確かめてみようともしないで、ただ頭ごなしに否定するのだ。
では常識とは何だろう。
日本で常識という言葉が一般化し始めたのは、明治以降のことである。
常識という概念を最初に打ち立てたのは、古代ギリシアのアリストテレス(前384-前322年)であった。
人間の感覚を、初めて視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚の5つに分類したのも彼である。
彼はそれら五感の全てに、共通の感覚が存在すると考えた。
そしてこの共通感覚が、後にコモンセンス(common sense)、すなわち常識という言葉の起源となったのである。
彼の生きた時代といえば、日本ではまだ縄文式土器から弥生式土器に移行していた頃であるから、彼我の歴史の差には驚くほかない。
それはさておき、前回までの当誌では「アシンメトリ現象」の歴史をたどる目的で、レオナルド・ダ・ヴィンチについて調べたことを、3回にわたってお伝えしてきた。
その際、ダ・ヴィンチがアリストテレスの人相学に大変興味を持っていたという記述を見つけたので、それも調べてみた。
するとアリストテレスの著述のなかに、体の左右差についての記述があることがわかったのだ。
そこでさらに、アリストテレス自身が書いたものを可能な限り調べ、体の左右差についての記述を拾い集めてみた。
そこからは、意外な事実が見えてきたのである。
アリストテレスといえば、ソクラテスやプラトンと並び称される古代ギリシアを代表する哲学者だ。
ルネッサンス美術を代表する3人を並べると、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロとなるようなものだろう。
そのラファエロの代表作「アテネの学堂」には、画面の中央にアリストテレスとプラトンが描かれている。
以前、この絵のアリストテレスのモデルはミケランジェロで、プラトンはダ・ヴィンチだろうといわれていた。
実は古代ギリシアにおいて哲学といえば、自然科学も含めたあらゆる学問の、総称的な意味合いをもっていた。
哲学者として名高いアリストテレスも、現代でいう哲学を越えたさまざまな分野の研究をしていた。
現在の学問の起源をさかのぼっていくと、ことごとくアリストテレスにたどりつくといわれるほどだ。
それゆえ、彼は「万学の祖」とも称されるのである。
しかし今の日本でアリストテレスに関する本といえば、引用されているのは論理学や形而上学的な内容ばかりである。
たとえ自然学の領域に触れていても、体の左右差についての記述など登場しない。
アリストテレスの研究者たちにとっては、体の左右差のことなどどうでもよいから、気にも留めなかったのだろう。
だが私には、彼が左右差について関心があったという事実は、重大な意味をもっている。
そこで今回は、アリストテレス本人の著作を集めた、『アリストテレス全集(旧訳版)』全17巻のなかから、左右差についての主だった記述を抜粋・要約して、紹介しておきたいと思う。
なお、本書では理解しにくい部分や、「アシンメトリ現象」とは左右が逆になっているような記述もあるが、これは立体を文字で表現することの限界と、幾重にも翻訳が繰り返された結果でもある。
従ってここでは、アリストテレスが体の左右差とその規則性に言及している点に注目していただきたい。
(以下、点線で上下を挟んだ部分が抜粋・要約部分。その下は私の考察)
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【1】「人類は動物中で最も自然に適ったものであるから、動物中で左側が最もよく遊離している。本来右は左より良いものであり、分離しているものである。また人類では右側が分化しているので、左側が動物中で最も動きやすく、最もよく遊離しているのは合理的なことである」
(『アリストテレス全集』「動物進行論」より)
【2】「ウマの病気の徴候は、右側の睾丸が上がったり下がったりすること、また鼻孔のわずか下の真中にしわのようなくぼみができることでわかる」
(『アリストテレス全集』「動物誌」より)
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アリストテレスは人間を動物の延長上の存在として捉えていた。
この発想が、後にダーウィンの進化論につながるのである。
ダーウィンは、著書『種の起源』のなかで、「アリストテレスは自然選択の原理をおぼろげながら予見していた」として、高く評していたという。
私も、アリストテレスの動物についての記述は、人間にも当てはまると考える。
人間の睾丸はもともと左側が下がっているといわれるが、骨盤の位置がズレることで睾丸の位置も上下する。
すなわち左側の睾丸の位置の上下を観察すれば、ある程度、病気の徴候がわかるのである。
また鼻孔の下にくぼみができるのは、特異的な筋の緊張の結果だと捉えることができるだろう。
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【3】「腎臓のある動物では、必ず右側の腎臓の方が左側のより位置が高い。これは、運動が右側から起こり、そのために右側の方が強くなるので、あらゆる部分は運動によってむしろ上へ上がるからであって、まゆ毛を見ても分かる通り、右の方が上がるし、左よりそっているのである」
(『アリストテレス全集』「動物部分論」より)
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「アシンメトリ現象」の場合は、左半身の骨格筋は右よりも緊張した状態になる。
すると左半身の骨格筋は抗重力筋としての機能が高まり、らせん状の力となって左半身を上体方向へと引き上げる。
アリストテレスは右半身の力が強くなると考えていたが、いずれにせよ力は上体方向へと向かうのである。
また、「アシンメトリ現象」によって左顔面の筋肉が緊張すると、顔面が左の耳の穴に向かって引っ張られたような形になる。
さらに左の眉は下がり、鼻筋は左に傾き、左の鼻の孔は横に広がって円くなり、左の口角は上がる。
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【4】「身体の右側の部分は動きがよいものであるのに、眼に関しては、右眼よりも左眼のほうがより容易に閉じられるのは何故であろうか」
(『アリストテレス全集』「眼に関する諸問題」より)
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「アシンメトリ現象」によって左顔面の筋肉が緊張している状態だと、左目が閉じやすくなるので、これも典型的な「アシンメトリ現象」を表現した記述である。
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【5】「心臓は人類では少し左に偏していて、左側の冷えるのを右側に等しくしている。人体の左側は右側と比べて冷たいからである」
(『アリストテレス全集』「動物部分論」より)
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人体の右側よりも左側が冷たいという記述は、「動物部分論」だけでなく「動物発生論」などでも見られた。
よほど極端な状態でなければ、この時代に体温の左右の違いを、客観性をもって計ることはできなかったはずだ。
体温を計るとなると、温度計を発明したガリレオ(1564-1642年)の登場を待たねばならない。
しかしこれが「アシンメトリ現象」であれば、左半身のほうが自覚的に冷たく感じられるのである。
このことからは、アリストテレス自身の体に「アシンメトリ現象」が現れていたと考えられる。
上記【4】の目についても、本人の体感から発生した疑問だろうから、その可能性は高い。
他にも、体の右側が左側より勝っているという記述は、同書の「動物進行論」、「動物部分論」、「ニコマコス倫理学」などの随所に見られた。
これは当時の趨勢であるピタゴラス学派の一般的な考え方だったようだが、アリストテレスは体の左右の非対称性について、より深めた考察をしている点で興味深い。
いずれにしても、人間の体が左右非対称であることは古代ギリシアでは常識だったようだ。
そのため、左右の違いに関する記述も多く見られる。
そして人間の体は左右非対称であるがゆえに、それに対する神の御姿は左右対称であるべきだと考えるようになったのだろう。
その結果、ギリシア彫刻では左右対称であることが美の基準となり、理想像となった。
ところがいつしか理想が現実を圧倒し、人間の体は左右対称であるという認識が常識として広まってしまった。
そして人体の左右非対称性についても語られることがなくなったのだ。
このような常識の転換は、ルネッサンス期に古代ギリシア・ローマ時代の理想へと回帰したことでさらに強化され、そのまま定着して現代に至っている。
だが美術の世界はそれでよくても、科学は既存の常識を疑うところから出発しなければ、そこには発見も進歩もない。
私はそう思うのである。
(花山 水清)