メールマガジン月刊ハナヤマ通信 377号 2018/03
人体に見られる病的で規則的な左右非対称性を意味する「アシンメトリ現象」。
この現象は、一体いつ頃から存在していたのだろうか。
現代になって突然出現したものなのか、はたまた太古の昔からあったのか。
それがずっと気になっている。
古病理学には、過去の時代の絵画や彫刻に表現された人体を観察することで、当時の疾患を探る手法がある。
また人類学では、古人骨に残された痕跡から生前の疾患を推測する。
私もこれらの手法を基にして、日本の鑑真和上像や、古代ペルーの古人骨と象形土器に「アシンメトリ現象」を見つけ出したのだ。
それが立体に写し取られているものであれば、「アシンメトリ現象」の存在を確認することはたやすい。
しかし絵画のように平面に表現されたものとなると、「アシンメトリ現象」の見極めは難しくなる。
「アシンメトリ現象」特有の左右差があるかどうかは、平面に描かれた人物ができるだけ正面を向いていないと確認できない。
ところが肖像画を始めとする人物像には、直立不動で真正面から描かれた作品など、まず見当たらないのだ。
芸術性の高い肖像画は、必ずといっていいほど斜め横を向いており、人物像には何らかの動きが表現されている。
仮に顔を正面から描いてあったとしても、それ1枚だけを見て、立体として左右非対称であるかどうかを判断するわけにはいかない。
しかも大前提として、作者がモデルを正確に写し取っているとは限らない。
それどころか、そのモデルが実在したかどうかもわからないのだ。
絵画を見る側は、あれこれ錯覚することも多いが、見るものに錯覚を起こさせることが、画家の意図するところでもある。
確かに絵画の世界では、ルネッサンスの頃から遠近法や透視図法などが発達し、極めてリアルな作品が登場するようになった。
だから、なかには極めてリアルなイエス・キリスト像も数多く残されている。
だが作者のだれ一人として、イエス本人を直接見たことなどない。
つまり表現がリアルだからといって、それが見たままの姿を再現しているわけではないのだ。
これは、新約聖書のなかの一文字たりとも、イエスによって書かれたものではないのと同じことである。
現代に暮らすわれわれのまわりには、生まれたときから写真や映像があふれている。
そのためリアルに描かれた絵画に対しても、つい写真を見るのと同じような感覚で捉えてしまう。
専門の研究者でさえ、絵画のリアリズム表現を、写真のように正確なものだと錯覚して、研究資料にすることがあるのだ。
例えばもう10年以上も前になるが、「モナ・リザは高脂血症だった」と書いて、日本で話題になった本がある。
イタリアの解剖医が、「モナ・リザ」のまぶたにある膨らみを指して、眼瞼黄色腫ではないかと推測した話が元ネタになっているようだ。
だが油絵を描いてきた私から見れば、あれは油絵にはよくあるもので、作者が意図したのではない、単なる絵の具の変化に過ぎない。
けれどもその本が話題になって以来、あたかもそれが事実であるかのように広まってしまったのだ。
もしその程度の根拠で、「モナ・リザ」が高脂血症だったと判断されるならば、ピカソの「泣く女」のモデルは、顔面複雑骨折だったでもいうのか。
眼瞼黄色腫のような病変をわざわざ描き込んでいたなら、「モナ・リザ」は名画として評価されることもなく、歴史に埋もれていたことだろう。
だが高脂血症はともかく、「モナ・リザ」には「アシンメトリ現象」の特徴が見られるのである。
「モナ・リザ」はレオナルド・ダ・ヴィンチの代表作であり、日本でも知らない人はいないはずだ。
私も20代の頃、ルーブル美術館で実物を見た。
当時はこの世界的な名画を前にしても、「あ、これか」という程度の感想しかもたなかった。
しかし、今は違う。
「アシンメトリ現象」という基準を得た現在の私は、絵画の見方も全く変わってしまったのだ。
もちろん、「モナ・リザ」の顔が左右非対称であることは、以前から専門の研究者たちからも指摘されている。
顔の左半分は悲しみを、右半分は喜びを表しているとか、いや、顔が半分ずつ男女に描き分けられているのだ、などといった憶測を呼んできた。
しかし、「モナ・リザ」の左目が小さくて、鼻が微妙に左に曲がり、左の口角が上がっているのは、ダ・ヴィンチの作意によるものではない。
これらはモデルとなった女性に出ていた「アシンメトリ現象」の特徴を、正確に写し取っているだけなのである。
とはいえ、「モナ・リザ」は顔全体が少し横を向いているので、私は左右の形の違いに確信がもてないでいた。
それが最近になって、新たに左右非対称を実証できるダ・ヴィンチ作品が出現したことにで、私の「モナ・リザ」に対する認識も変わった。
その作品とは、「サルバトール・ムンディ」のことである。
この油彩作品は、2017年11月に美術作品史上最高価格(約508億円)で落札されたことで話題になった。
「サルバトール・ムンディ」とは「世界の救世主」という意味であるから、これはイエス・キリストの肖像画である。
これは、長いあいだ真贋論争が続いていた作品だ。
それが先ごろ、正式にダ・ヴィンチ作だと認定されて、その美術的価値よりも、金銭的な価値が跳ね上がったことで名を上げた。
実はこのときまで、私はこの作品の存在を全く知らなかった。
けれども今回初めてこの作品の写真を目にして、即座にダ・ヴィンチの作だと確信できた。
表現としての男女の違いはあっても、「サルバトール・ムンディ」と「モナ・リザ」のモデルは同一人物なのだ。
それがわかるのは、これらには、共通した「アシンメトリ現象」の特徴が見られるからである。
「モナ・リザ」同様、「サルバトール・ムンディ」の顔が左右非対称であることも、多くの研究者によって指摘されている。
両者とも、左の目が小さくなり、鼻は左に曲がり、左口角が上がり、左の頬がこけているといった、「アシンメトリ現象」の特徴が見られる。
ただしそれだけでは、これが「アシンメトリ現象」である証拠としては弱い。
ここで私にとってもっとも重要なのは、鎖骨のくぼみである。
「モナ・リザ」も「サルバトール・ムンディ」も、そこにあるべきはずの鎖骨のくぼみが、同じように消えてしまっているのだ。
鎖骨のくぼみが消えるのは、「アシンメトリ現象」の女性に見られる特徴である。
それが男性であるはずの「サルバトール・ムンディ」にも、はっきりと現れているのは妙だ。
また「サルバトール・ムンディ」の胸の肉付きは、どう見ても女性的である。
「洗礼者ヨハネ」のように、ダ・ヴィンチは中性的な人体を好んで描く傾向はあったが、「サルバトール・ムンディ」の場合は、モデルが女性だったと見るのが妥当だろう。
さらに「サルバトール・ムンディ」は、肖像画としては珍しく真正面を向いた姿で描かれている点にも注目したい。
なぜ正面を向いているのか。
ダ・ヴィンチほどの描き手が、イエス・キリストを題材にしておきながら、たまたまそうなったとは考えにくい。
何らかの意図があったはずだ。
そこで、彼の思考のベースを知る上で重要になってくるのが、ウィトルウィウスの存在である。
ダ・ヴィンチの作品に、「ウィトルウィウス的人体図」という有名なドローイングがある。
円と正方形の同心の図形の中に、両手両足を広げた裸体の男性像が描かれた、おなじみの図である。
この作品は、医学の世界でシンボル的な使われ方をしているので、だれでも一度は目にしたことがあるはずだ。
このウィトルウィウスは、ローマ時代の著名な建築家である。
彼は、「左右対称な体は、神の姿の現れであって理想の形である」という、古代ギリシアの価値観を継承していた。
そして彼の著書『 建築論 』のなかには、「神殿建築も、神の姿の現れである左右対称を基準にしている」ことが書かれているのである。
ルネサンスの多くの画家たちと同じくダ・ヴィンチも、ウィトルウィウスにはかなり傾倒していたようなので、左右対称を意識していたはずだ。
まして、「サルバトール・ムンディ」は、神の子イエス・キリストである。
その御姿を表現するには、ぜひとも左右対称を強調する必要があったのだろう。
それが、この作品が真正面の姿で描かれた理由ではないかと私は思うのだ。 (続く)
(花山 水清)