メールマガジン月刊ハナヤマ通信 364号 2017/02
一昔前までは、がんといえば不治の病であり、死を意味する病名だった。
ところが今では、がんは早期発見・早期治療をすれば治る病気になったといわれている。
種類によっては、5年生存率が8割から9割にもなるというのだから、がん治療の飛躍的な進歩が感じられるだろう。
だが相変わらず、がんは日本人の死因の第1位であり、がんによる死亡者数も減ってない。
このギャップに対して、私はいつも何かモヤモヤとスッキリしないものを感じていた。
本当に、がんの早期発見・早期治療は有効なのだろうか。
治ったといわれるがんの多くは早期のがんである。
転移してしまったがんが病院で治せるわけではない。
例えば1期の胃がんの5年生存率は9割を超えているが、4期の胃がんになると5年生存率は1割にも満たないのだ。
では転移のない早期のがんが治って、なぜ転移したがんは治らないのだろうか。
そんなことは当たり前だと思っているとしたら、それは思い込みである。
転移のある・なしに関係なく全く同じがんを治療するのに、なぜ治ると治らないとの間にここまで大きな違いが出るのか。
この疑問には明確な答えが必要なはずだ。
答えようがないというのなら、がんの5年生存率の向上とは、治癒率が上がったからではなく、何か別の事情で救命・延命率が上がっただけではないかという疑いも生じてくる。
そこでまず考えられるのが、がんの手術方法の改善だろう。
今は早期の胃がんは内視鏡による手術ですませるが、以前は早期でも開腹手術をしていた。
しかも患部周辺のリンパ節を広範囲に廓清する、拡大手術が一般的だった。
拡大手術となると患者の負担が格段に大きい。
そのせいで手術中に死亡する例も相当多かった。
もちろんこれは胃がんだけの話ではない。
すると5年生存率の向上といっても、それは術中死が減ったという救命技術の向上に過ぎず、がんそのものを治す技術が向上したわけではないとも考えられるのだ。
数年前、米国の国立がん研究所が驚くべき数字を発表していた。
早期発見を目標にがん検診を普及してきたこの40年で、数百万人もの人が、がんでもないのにがんだと診断( overdiagnosis:過剰診断)され、不必要ながん治療( overtreatment:過剰治療)を受けていたというのだ。(※)
なかでも乳がんの過剰診断の数は、30年で130万人にも上るという。
がん治療を受けたことで、治療によって本物のがんが発症したことも指摘されている。
これらの数字が事実であるなら、米国以上にがん検診が盛んな日本では、過剰診断された患者の数も、さらに多く存在することになる。
ではここで、日本の典型的な過剰診断の例をみてみよう。
昨年、知人の後期高齢者の女性が、ある有名病院での検査で卵巣がんの疑いがあると診断された。
私には、彼女の体にがんがあるようには思えなかったが、彼女は医者の勧めるまま子宮と卵巣の摘出手術を受けてた。
ところが切り取ってみたら、やはりがんではなかったのだ。
そして医者からは「がんでなくて良かったですね」といわれ、本人もそれを喜んでいた。
しかしがんの疑いがあるだけで臓器を切り取り、その結果、「がんでなくて良かった」で済ませて平然としていられる医療とは一体何だろうか。
がんの周囲には、こういう話がおどろくほど多いのである。
また同じ病態であっても、がんだと誤診されて押し切られる例もあるだろう。
がんとなれば手術だけではすまない。
術後には放射線だ、抗がん剤だといった治療が続く。
このようなことが何百万件もあれば、元々がんではないのだから、がんの5年生存率は上がったように見えて当然だ。
本物のがんの死者数は減っていないのだから、これではがんが治るようになったとはいえない。
私の実感としても、米国の国立がん研究所が発表した数字は妥当だと思う。
実は以前から、乳がんは特に誤診が多いような気がしていた。
私ががんの有無を判断する際に基準としているのが「アシンメトリ現象」の状態と、がん周辺のリンパの硬い腫れである。
この2大特徴が見られないのに、乳がんだと診断される人が多すぎると感じていたのだ。
そのため、乳がんだけは私の判断基準が当てはまらないのかと思っていた。
ところが、それらが全て医師の誤診、もしくは過剰診断だったとしたら、私としては十分に納得がいくのである。
そもそも早期発見を目指して検診を重ねてみても、現在の検査技術では、早期のがんを確実に判定できていない。
がんをがんだと確実に判定するには、転移を確認するしかないのだ。
しかし早期と言われる直径1センチのがんであっても、そこまで成長するのには10年以上もかかる。
その時点で、がん細胞の数も10億個にまで達している。
それほど長時間経過したがんが、果たして早期のがんだといえるのか。
またそれだけの時間が経過していながら、転移していないなどとは考えられない。
そんなのんびりしたがんは、がんとは呼べないのではないか。
たまたま転移していなかったとしても、肉眼による手術で10億個ものがん細胞を1つ残らず取り去ることなどできない。
それが本物のがんだったなら、細胞が1個でも残っていたら近い将来、必ず再発する。
だからこそ、続けざまに放射線と抗がん剤を施した上で、5年もの間、再発・転移の有無を調べ続けるのである。
しかし早期のがんを確実に判定する技術がない以上、治療によってがんが完治したかどうかを確かめる技術も存在しない。
がんの定義上、がんというのは転移するものである。
いい換えれば、転移を確認できないがんを、がんと認めるわけにはいかない。
まして転移していないがんを治したからといって、本物のがんを治したことにはならない。
がんを治したというのは、転移を確認できたがんを完治させて初めて口にできることなのである。
そこで現在、米国の医学界では、がん(cancer)という名称そのものの再定義を求める動きがあるようだ。
要するに、がんとは呼べない状態をがんだと過剰診断し、過剰な治療を施してきたことを認め、是正の方向に向かっているのである。
片や日本では、早期発見・早期治療が、有効であるかのような認識が深く浸透している。
そのせいで、進行したがんが見つかると、「もっと早く検査を受けていれば、対処の方法もあったのに」と医師から患者が責められる。
しかしこの言葉を聞くたび、私には落語の「手遅れ医者」の話に聞こえてしまう。
「手遅れ医者」とは、いつも「手遅れだ」といってごまかしていた医者が、しまいには屋根から落ちた人に向かって「屋根から落ちる前に来なけりゃ手遅れだ」という話で、当誌ではおなじみだろう。
これが現代なら、「がんは、がんができる前に治療しなけりゃ手遅れだ」というオチになるのか。
もちろんこれは皮肉である。
だが乳がんの予防目的で、乳房を切除して話題になった米国女優の例を見れば、これは皮肉にもならない。
1日でも早く1ミリでも小さいうちにがんの治療を始めたいと思えば、最終的には、がんができる前に治療開始が必要だという気持ちになるのだろう。
そうであっても、本物のがんに対抗する手段としては、かなり方向が間違っていると私は思うのだ。
(花山 水清)
※ "Millions Wrongly Treated for 'Cancer,' National Cancer Institute Panel Confirms"