メールマガジン月刊ハナヤマ通信 360号 2016/10
学生のころ、体育の先生に水泳の特訓をしてもらったことがある。
特訓といっても速く泳ぐためではない。
いざというとき溺れないために、いかにゆっくりと泳ぐかが目的だ。
そして、ゆっくりと泳ぐための一番のポイントは、まず「息を吐く」ことだった。
水泳の初心者は、呼吸が苦しくなるとやたらと息を吸おうとする。
しかし息を吸おうとするとますます苦しくなって肩に力が入る。
すると体が沈んでしまう。
これが溺れる人のパターンだ。
逆に息をゆっくり吐けば、意識して空気を吸おうとしなくても楽に吸気ができるようになる。
そうすれば自然に肩の力が抜けて体が浮き、何時間でも泳いでいられるのである。
この特訓のおかげで、私は今でも水泳が得意だ。
また特訓の成果は、日常の生活でも生かされている。
常に十分に息を吐くことができるので、極度に緊張して肩に力が入るようなことがない。
単純な動作でも、呼気、つまり息を吐くのがうまい人は、案外少ないようだ。
「息を吐いてください」というと、みな一旦、息を大きく吸ってから吐こうとする。
いきなり吐ける人などほとんどいない。
普段の生活で息をゆっくりと吐けていない人が多いのだ。
そういう、息を吸おう吸おうとする人は、体が常に緊張状態にある。
それでは溺れる人の呼吸パターンだから、非常に疲れやすいだけでなく、パフォーマンスも低下して当然だ。
実はその原因は、単なる習慣や精神的なものではない。
背骨のズレによる「アシンメトリ現象」が、少なからず関与しているのである。
一般的には、緊張したときは深呼吸するとリラックスできるといわれている。
深呼吸で大きく息を吸うと肺が広がって、その刺激が肺の外側にある伸展受容器を通じて副交感神経に伝達される。
それがリラックスにつながるのだろう。
しかし緊張状態の原因が「アシンメトリ現象」であったなら、深呼吸したぐらいでは体の緊張は解けない。
特に胸椎がズレていると、肺を大きく広げることすらできない。
それでは副交感神経がうまく働かなくなる。
また背骨のズレは、交感神経の機能を亢進させるので、体の緊張は一層、増してしまうのだ。
ところが医学上では、緊張して息が荒くなったり速くなったりするのは、交感神経の働きではなく、運動神経のせいだとされている。
緊張状態が続いて息が乱れると、体は酸素不足になる。
そして体が酸素不足の状態そのものがシグナルとなって、さらにまた運動神経が活性化される。
そのため過換気症候群などの呼吸器症状も、運動神経の活性化がその原因だと考えられているのである。
それならなぜ運動神経が活性化され、体が酸素不足になるのだろうか。
その原因だとされている体の緊張の仕組みすら、医学的に解明されているわけではない。
だが実際には、それらの大本の原因は胸椎のズレなのである。
胸椎がズレれば肺を大きく広げられなくて、息が吸いにくくなるから酸素不足になる。
また胸椎のズレによって、交感神経の機能が亢進することで緊張状態にもなるのである。
こうして呼吸筋の異常について考えているうち、「アシンメトリ現象」における大きな発見があった。
今までは「アシンメトリ現象」の体の左右差のみに焦点を当てて言及してきたが、そこには左右差を伴った上下の位置の異常も存在しているのである。
たとえば、
①左の胸鎖乳突筋が緊張して乳様突起を押し上げた結果、頭蓋が右に倒れる。
②左の肩甲骨、左の鎖骨が常に上体方向に位置する。
③横隔膜の左側が上体方向に収縮するため、ウエストの左側のくびれがなくなる。
それと同時に、骨盤の左側も引き上げられる
などが挙げられる。
それではなぜ、このような左右差を伴った上下差が発生するのか。
その理由が長い間、不明だった。
それが、呼吸筋というキーワードを得たことで、全てに説明がつくようになったのだ。
まず胸椎がズレると、呼吸筋である肋間筋や横隔膜などに過度な緊張が起こる。
すると、咳が止まらなくなったり、ぜん息などの、呼吸に関する症状が現れたりする。
そのような症状が続くと、水泳の初心者と同じで、本人は懸命に息を吸おうとする。
息を吸うとき、呼吸筋は上体方向に向かって収縮するので、息を吸おうとする状態が続くと、呼吸筋が上体方向に固定したような形になってしまう。
この一連のメカニズムが、「アシンメトリ現象」の体の形に上下差を生む原因であることがわかったのだ。
今後もさらに、形を細分化して解明していくつもりだが、これで「アシンメトリ現象」の体の定型ともいえる全体像が見えてきた。
だがここでまた新たな疑問が生まれた。
これまでは、「アシンメトリ現象」はさまざまな疾患と関わっているのだから、体の異常なのだと認識してきた。
しかし「アシンメトリ現象」そのものは、あまりにも多くの人に見られる現象であり、正常な形の人を探すほうが難しいぐらいなのだ。
もしだれもが同じ形に変化するのであれば、それはもはや異常とはいえないのではないか。
シワや白髪の存在を、異常だと騒ぎ立てるようなことになってはいないか。
ふとそんな疑念がよぎった。
ひょっとすると「アシンメトリ現象」に見られる体の変化は、死へ向かうメタモルフォーゼ(変身)なのだろうか。
思春期に体型が急激に変化することは異常でも何でもない。
この第二次性徴と同じように「アシンメトリ現象」も、われわれの体に生まれたときからプログラムされているのだろうか。
サケは産卵のために川を遡上する際、鼻が曲がって背が張り出してくる。
同じしくみが人間にも存在すると考えることは、突飛ではないだろう。
そうであるなら、疾患すらも単にその変化に付随する現象に過ぎないのかもしれない。
「アシンメトリ現象」の発現を、生から死への変遷だと考えるなら、それは「らせんを描いて進む」生命の一過程だと捉えることもできる。
生命の発生の形をらせんだと考えたのは、詩人であり自然科学者でもあったゲーテだった。
確かに子どもが生まれ落ちるときにも、らせん状に回転しながら産道を通過する。
生命がその発生時に描くらせんは、終息に向かうとき反転するのではないか。
実際のところ、「アシンメトリ現象」は生命の発生時とは逆に、重力に対して時計回りの方向性をもっている。
このことからも、「アシンメトリ現象」は生命が終息へと向かう分岐点だと見ることができる。
そしてこれは、宇宙が発生から終息に至る過程と酷似しているのである。
現在の医学教育では、死は敗北であると捉え、その原因となる病気と闘おうとする。
だが死を忌避するだけではあまりにも情緒的であり、科学的とはいえない。
そのような捉え方では、行き着く先には常に完全なる敗北しかない。
そもそも生命の摂理とは、そんな単純な考え方でくくれるものではないはずだ。
病気と闘うだけの医学は、もう限界に来ている。
そろそろ「病気という現象」を、生命の根源から捉え直してみる必要があるのではないかと思うのだ。
(花山 水清)