メールマガジン 月刊ハナヤマ通信 349号 2015/11
今春、医学誌のランセットに2013年度の世界健康寿命が掲載された。
健康寿命とは、日常生活で介護を必要としないで自立して生活できる期間のことである。
結果を見ると、日本は188カ国中で男性が71.11歳、女性が75.56歳で世界1位となっていた。
ところが日本人の平均寿命は、男性が80歳を超え、女性が86歳台であるから、介護を必要とする期間は、男女ともにおよそ10年にもなる。
また平均寿命を超えたあたりから介護度も上がり始め、要介護3~5の割合が急激に増える。(要介護5が最重度)
さらに今後の高齢化に伴って、介護を必要とする人数や期間、各人の介護度もますます上昇することが予測されているのだ。
そういった高齢化の大きな問題の一つに、認知症がある。
認知症は主に加齢を原因とするため、高齢になればなるほどその数も多くなる。
しかし加齢はもちろんだが、私は薬の飲みすぎも認知症の原因になっていると考えている。
日本の高齢者の多くが、何種類もの薬を常用していることはよく知られている。
5種類も薬を処方したら犯罪になる国もあるというのに、日本ではサプリメントや健康食品を含めると、10種類以上の薬を常用している人は決して珍しくない。
このいわゆる多剤処方(ポリファーマシー)が認知症を誘発している可能性は、十分に考えられるのだ。
だが医学上は、薬と高齢者の認知症発症との関係についてあまり言及されることはない。
前回も睡眠導入剤として使用されているベンゾジアゼピンと認知症の関係についてお伝えしたが、ベンゾジアゼピンの長期服用は高齢者の認知機能を低下させるのみならず、生命予後までも悪化させる。
従って、使用を極力控えるように推奨されている。
イギリスのガイドラインでも、4週間以内の使用に留めることになっているのだ。
ところが日本では、この薬を何年にもわたって処方され続けている患者さんは多い。
そうやって長年ベンゾジアゼピンを使用していると、認知機能の低下だけでなく、薬の効果も薄れてくる。
しかも離脱が難しいので、やめようにもやめられない薬漬けだ。
ベンゾジアゼピンだけではない。
薬と認知症の関係については、降圧剤やコレステロール降下剤も問題になっていた。
一般的には、血圧の高い高齢者ほど認知症になるといわれる。
しかし逆に、血圧を下げる降圧治療やスタチンによるコレステロール低下療法によって、認知機能が低下することもある。
このあたりの矛盾については、医学的にも説明がつかないようだ。
要するに、脳への血流障害が認知機能の低下に結びついているのだろうが、私はこの血流障害の原因として、背骨のズレの影響が大きいとみている。
日本の場合、睡眠導入剤、血圧降下剤、コレステロール降下剤などは、併用して長期にわたって処方されている。
今はまだ、それが認知症を増やしているというエビデンスはないとしても、高齢者の薬を減らしたら寝たきりから復活したという話なら、医療者にとっては珍しくない。
やはり、薬が高齢者の認知症を促進していることは否めないだろう。
現在の医療には、認知症の解決方法は存在していない。
解決法どころか、予防法すらわかっていない。
ところが、薬の多剤服用が認知症の原因になるなら、薬を減らすことで予防できるのだから、朗報だ。
もちろん認知症の増加は、医療としての問題だけに留まらない。
介護を含めた社会福祉の大問題でもある。
日本では、医療と福祉は全く別のカテゴリーになっているが、薬と認知症との間に因果関係があるならば、医療が福祉の負担を増大させていることになる。
現在は医療も介護も、ほとんどの部分を国の負担でまかなっているため、このまま高齢化が進めばどうなるか。
その参考になる例がイギリスだろう。
第二次大戦後のイギリスは、「ゆりかごから墓場まで」をスローガンに掲げて福祉国家を目指してきた。
しかし当初の想定より、高齢者の寿命が大幅に伸びたため、莫大な財政赤字を抱えるようになってしまった。
そこで登場した「鉄の女」サッチャー首相が「小さな政府」への大転換を図り、医療費抑制政策を推進して財政赤字の解消に立ち向かった。
その結果、急激な医療崩壊を招いてしまったのである。
ところが医療が崩壊したといわれたその時代ですら、イギリスの平均寿命は伸び続けていた。
この事実もたいへん興味深い。
そのイギリスを手本にして福祉国家を目指してきた日本も、現在では途方もない巨額の財政赤字にあえいでいる。
今こそイギリスと同様、大きく舵を切る必要があるだろう。
幸いイギリスの医療崩壊は平均寿命には影響がなかったが、これが介護崩壊となれば話は全く別である。
長寿を望むのは自由だが、認知症になった状態で長生きしても、喜びが少ないだろう。
そうであるなら、認知症の発症を遅らせるためにも、何年も同じ薬を飲み続けるようなことは、避けるべきなのである。
(花山水清)