メールマガジン月刊ハナヤマ通信 346号 2015/08
この春、病気で入院していた人から聞いた話である。
彼女の同室に、腎臓がんの術後の痛みで苦しんでいる50代の女性がいた。
その女性の話では、ここに入院する何ヶ月も前からずっと下痢が続いていたそうだ。
だがあちこちの病院で検査を受けても、下痢の原因がわからない。
検査を繰り返しているうちに、この病院でたまたま腎臓がんが発見された。
そこで医師に勧められるまま、手術を受けたのだという。
腎臓がんの手術となると、背中の側から肋骨を切り開いて腎臓を摘出するのでかなりハードである。
そのような手術を受けたため、彼女は寝返りも打てないほどの痛みで苦しんでいた。
ところが術後の病理診断の結果、実は腎臓がんではなかったことが判明した。
つまり全くの誤診によって、がんでもないのに腎臓を取られてしまったのである。
話はそれだけではない。
彼女が術後の痛みや苦しみを執刀医に訴えると、この医師は謝意や同情を示すどころか、逆に「わたしにどうしろというんですかっ!?」と、彼女を怒鳴りつけたのだ。
そのため彼女は体の傷だけでなく、信頼していた医師の言葉で心にも深い傷を負った。
さらに悲しいことには、彼女の下痢はあいかわらず続いているのである。
何とも痛ましい話ではないか。
この話を聞いた多くの人は、これが特殊な事例だと思うかもしれない。
しかし私は、似たような話をこれまでにも数多く耳にしてきている。
手術までしたのに、執刀医からあいまいな説明しか聞けず、結局のところ自分ががんだったかどうかすら、はっきりとしない患者は何人もいた。
やはり、開けてみたら「がんではなかった」という事例は多いのだろう。
先日も、がんを経験したことのある3人の方と話す機会があった。
それぞれが乳がん・腎臓がん・卵巣がんを手術して、すでに5年ほど経過しているが、今のところはだれも再発も転移もしていない。
体を調べてみると、私ががんの判断基準にしている「アシンメトリ現象」が見られない。
病院でがんの治療をしたからといって、「アシンメトリ現象」は消えないので、3人とも元々がんではなかった可能性がある。
また、近藤誠氏の「がんもどき理論」の通り、それが「本物の」がんであったなら、いくら早期に発見されたとしても、すでに転移しているはずだ。
それが術後5年経っても転移が見られないのだから、やはり「本物の」がんではなかったと判断できる。
病院での治療で、「本物の」がんが「完治」することなどないからだ。
がんには、早期発見・早期治療が有効だといわれて久しい。
がんといえば昔は不治の病の代表だった。
しかし今では、早く発見すれば、がんは治る病気だとまでいわれている。
一般の人はもちろんのこと、医師のなかにもそう信じている人は多い。
果たしてそうだろうか。
私には、がんという病気はそんな生やさしい相手だとは思えないのだ。
現在は、がん検診の推進キャンペーンや検査技術などの進歩によって、さらに早期の段階でがんが発見されるようになった。
治療方法も、以前とは比べものにならないぐらい向上しているはずだ。
だがどんなに早期で発見し、どんなに優れた治療を受けようとも、いまだにがんは日本人の死亡原因の第1位であり、がんの死亡者数も全く減っていないのである。
この矛盾をどのようにとらえたらよいのか。
統計を調べてみると、興味深い事実が浮かび上がってくる。
2000年には、295,484人だったがんの死亡者数は、その後も毎年増え続け、2014年には37万人に跳ね上がっている。(※日本人の死因順位別死亡者数の年次推移)
この数字を見れば、早期発見・早期治療をしても全く効果が現れていないことがわかる。
さらにデータを読み進めると、2011年にはそれまで死因順位の第4位だった肺炎が3位に浮上し、その後も順位に変動はない。
これまた妙な気がする。
この肺炎による死亡者のなかには、かなりのがん患者が含まれているのではないか。
以前、胃がんの治療中だった友人は、家族で作った餃子を誤嚥(ごえん)した結果、誤嚥性肺炎で亡くなった。
肺炎とは肺の炎症の総称であり、さまざまな原因によって発症する。
特にがんの治療中は、体力低下とともに免疫力も低下しているから、細菌感染による肺炎にもかかりやすい。
抗がん剤や漢方薬によって、薬剤性肺炎が発症することも知られている。
そして私の友人のように、誤嚥による肺炎も起こりやすくなるのだ。
しかしがんの治療中であっても、肺炎で亡くなれば統計上の死因はがんではなく肺炎になるらしい。
これは2011年以降に限ったことではないし、いきなり肺炎が増える理由もない。
要は、あまりにも増え続けるがんによる死亡者数を、少しでも小さく見せるためのトリックではないのか。
実際、がん死は、早期発見・早期治療でまちがいなく減るはずなのに、なぜか増え続けている。
統計には現れないが、そこにがんだと誤診された数を加えれば、早期発見・早期治療ではがん死を防げないだけでなく、度重なる検査やがんの治療によって、逆にがんによる死者数を増やしている可能性もある。
試しに早期発見・早期治療というのを止めてみれば、統計上のがん死は減るのではないかとすら思う。
落語の演目に「手遅れ医者」というのがあった。
来る患者、来る患者全員に「手遅れだ」と診断するヤブ医者の話である。
手遅れだと診断した患者なら死んで当然、それがもし助かれば、あの医者は手遅れの患者を治した名医だ、といわれるから好都合なのだ。
あるとき、そんな「手遅れ医者」のところに屋根から落ちた人が担ぎ込まれた。
例によって医者は「手遅れだ」と告げる。
すると患者を運んできた人たちが、「こいつは今、屋根から落ちたばかりだ」という。
そこで医者が「そりゃ、落ちる前に連れてこなきゃ手遅れだ」と答えてオチとなる。
さあ、これが今のわれわれに笑えるか。
がんに限っては、「早期発見・早期治療をすれば治る」などという医者よりも、はなから「手遅れだ」という医者のほうがまともかもしれない。
ところがなかには、うそでもいいから「治る」といって欲しいという患者も少なくないから、話が厄介だ。
いずれにしても、今の医学では「がんが治る」というのはまだ早い。
治療法どころか、がんの正体すらつかめていないのが実態なのである。
(花山水清)