メールマガジン月刊ハナヤマ通信 341号 2015/03
何年かぶりの友人から「久しぶり~、元気ィ?」という電話がかかってきた。
私に「元気か」と聞くのは、だいたい本人が元気でないときである。
案の定、彼女もママさんバレーでひざを傷めて困っていた。
2ヶ所の整形外科を受診して、両方で「即、手術だ」といわれたという。
彼女はもともと体が丈夫なのが自慢で、その体格をいかして、ママさんバレーでは主力選手なのだ。
そのため、手術で長期間に渡って試合を欠場することはチームにとっても大きなダメージである。
彼女に限らず、スポーツ選手には関節の故障がつきものだ。
そのせいで引退を余儀なくされる選手も多い。
スポーツニュースでも報道されるから、一般にもよく知られた話だろう。
そこで彼女に会ってひざを調べてみたが、ひざに異常はない。
だが腰椎はしっかりズレている。
そこで腰椎のズレを矯正すると、その場でひざの痛みが消えて、ひざの曲げづらさも解消した。
整形外科でいわれたようにひざ軟骨のせいなら、腰椎の矯正で症状が消えるはずがない。
やはり彼女のひざの症状は、腰椎のズレのせいだったのだ。
腰椎のズレがひざ痛の原因となるしくみについては、『その腰痛とひざ痛、モルフォセラピーなら、おうちで治せる!』にも詳述したので、ここでは説明は省く。
もちろん彼女は手術などすることなく、すぐにママさんバレーに復帰した。
では整形外科での診断は何だったのか。
彼女の例は決して特殊ではない。
私にとっては日常的によくみる症例である。
関節痛で引退しているスポーツ選手の多くも、実際には背骨のズレが原因ではないか。
一般的には、スポーツ選手の関節痛といえば外傷というイメージがあるかもしれない。
整形外科でも関節痛は概ね外傷だと想定している。
もちろん私も、骨折や脱臼などといった明らかな外傷には手を出さない。
そのような場合には、整形外科や整骨院を受診すべきだと思っている。
ところが、痛みが出た経緯からみて明らかに外傷だと思われるような場合でも、実際には背骨のズレが原因のこともあるのだ。
例えば首や腰の痛みで、これまで何度も来院していた50代の男性がいる。
この前も、彼は首や腰の痛みで来院されたので、いつも通り背骨のズレを戻すことで即、解消した。
彼もそれが当然のことだと受け止めている。
しかし帰り際になって、ちょっと迷いながら「先生、これは違うよね~」といいながら、実は肩も痛いのだと訴えた。
話を聞くと、少し前にスノーボードで転倒して腕をひねって以来、肩の痛みが続いているそうだ。
本人としては、これは転倒による外傷だから、背骨のズレによる痛みではないと考えていたのである。
だが、彼の頚椎を調べてみると、肩に痛みを出すであろう部分が明らかにズレていた。
そのズレを戻したら、その場で肩の痛みも消えた。
タイミングとして外傷に思えても、痛みの原因は背骨のズレだったのだ。
こういう例はとても多いのである。
それでは外傷による痛みと、ズレによる痛みをどのように分けたらよいのか。
見分けるポイントは時間経過である。
外傷の痛みなら、時間とともに解消されていく。
背骨のズレが原因の痛みなら、ズレが解消しない限り、同じ痛みが続くのである。
極端な話だが、腕を切断するような大きな外傷であっても、いつしか痛みは消えていく。
切断したときの痛みが、生涯続くようなことはない。
それに対して、ズレによる痛みとなると、同じ痛みが何年も続いたり、別な痛みに変わったりするのである。
V・S・ラマチャンドランの著書『脳のなかの幽霊』に登場して話題になった幻肢痛という症状がある。
幻肢痛とは、切断などで、もう存在しないはずの手や足が、あたかも存在しているかのように痛みを感じるものである。
つまり「脳のなかの幽霊」というのは、既に失われたはずの手や足の痛みは、脳が勝手に作り出した幻想だという意味だろう。
現在、この幻肢痛の存在は医学的にも常識化しており、あの養老先生も著書で引用していた。
しかし幻肢痛は本当に存在するのだろうか。
私はこの定義を少なからず疑っている。
脳に明らかな損傷でもあれば別だが、幻肢痛のメカニズムが科学的に証明されているわけではない。
幻肢痛だと呼ばれているもののなかには、背骨のズレが原因の症状が含まれているのではないか。
要するに「脳のなかの幽霊」の正体は背骨のズレ、私はそう考えている。
痛みやしびれなどといった背骨のズレによる症状は、病院では原因不明だと診断されることが多い。
そのため、脳が勝手に痛みを作っているのだと考える医師も増えている。
だがこれは、脳が説明不足なだけだろう。
ひざ痛を例に考えてみよう。
まず、脳が体からの信号を受け取る。
それをそのまま、
「腰椎がズレています。そのせいで、ひざの部分に痛みが出ています」
と伝えてくれればよいのに、その大事な部分をはしょって、
「ヒザ、イタイ」
とだけいって、すませている。
これでは「メシ・フロ・ネル」としかいわないぶっきらぼうなお父さん状態である。
つまり脳は横着をしているのだ。
近ごろは「脳が勝手に・・・」という表現は先端科学のニオイがするのか、マスコミも医師も好んで使うようになった。
しかしその肝心の脳は言葉が足りない。
言葉が足りないとどうしても誤解が生じるものである。
その誤解が、「脳のなかの幽霊」なのだろう。
それならば、体からフィードバックされた信号を脳が表現するとき、医療者はしっかりと翻訳なり通訳してから解釈する必要がある。
入院中の患者から「毛布がほしい」といわれて、ただ毛布を持ってくるようではダメだ。
それを「毛布がほしいということは、寒いんだな。暖房が効いていないのかな。熱があって寒いのかな」などと、考えを巡らせる必要があるのと同じである。
言葉の足りない脳を相手にするなら、通訳者なり翻訳者として、こういった思考ができるかどうか、それが医療者の役割の一つになってくると思うのだ。
(花山水清)